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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/anguttara (3)

  • 仏教は結局「仏」を原理とする宗教ではない - 安愚多楽

    と証言する歴史の重みは、畏敬の念とともに僕をたじろがせる。 仏と彼が教えた縁起は、輪廻と因果応報を結びつける考えに決定的なクサビを入れるものであったはず、なのに我々はそれを取り払わねばならなかった。 ど阿呆な禅者どもが「仏教は創造神を認めない」「仏教は宗教ではない」とはしゃいだ時、彼らの意図に反してそれは致命的真実であり、仏教はもはや宗教には戻れなくなった。 仏がどこにもいないことは、世界が釈迦に呪われていないことは、絶望としてしかあり得ないというのに。 贖罪だの悔恨だのといった問題は、キリスト教では重要かもしれないが、仏教ではあまり大きな意味を持たないように思われる。世界の創造神というものを認めない仏教教義によれば、悪とは全て有情が作り出したものであり、その報いは人が望もうと望むまいと必ず受けることになっている アクセスが禁止されています:@nifty 避けることが可能な問いを前に僕は

    仏教は結局「仏」を原理とする宗教ではない - 安愚多楽
    na23
    na23 2009/07/07
  • ロゴス的世界とその仏 19 - 安愚多楽

    na23
    na23 2008/12/07
    非常に濃いのだが…
  • 釈方便論 15 - 安愚多楽

    ・悟りとは何か。世界の存在と意味を担うということ。世界のすべてを自分と等しいものとして見ることとは。 ・私が他人ではありえない、望んだような自分でもありえないのはなぜか。 ・それは、私の存在しているという事態がそれらとは両立しえないから。では、何故私はそれを望むのか。望むべきことを知っているのか。 ・それは、時間が存在し、異なる意味を持った存在を連続的に捉える機能が我々に備わっているから。そのようにして両立不可能な存在を両立させることができる。 ・心は無常なので時間軸上を移動することができ、無我なのでこの世にあって観照者であることができる。そして、人が存在の意味を汲み尽くそうとする立場に立つとき、それはこの世において両立不可能ではなく存在不可能になる。 ・このことと、仏が自性空であることと、仏がつねに一人しか存在しえないことは同じことであると考えられる。 ・円成実の世界において、世界の意味

    釈方便論 15 - 安愚多楽
    na23
    na23 2008/06/21
    こんな変でおもしろい思想がひっそりと世に知られることなく隠れているのはもったいない。
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