と証言する歴史の重みは、畏敬の念とともに僕をたじろがせる。 仏と彼が教えた縁起は、輪廻と因果応報を結びつける考えに決定的なクサビを入れるものであったはず、なのに我々はそれを取り払わねばならなかった。 ど阿呆な禅者どもが「仏教は創造神を認めない」「仏教は宗教ではない」とはしゃいだ時、彼らの意図に反してそれは致命的真実であり、仏教はもはや宗教には戻れなくなった。 仏がどこにもいないことは、世界が釈迦に呪われていないことは、絶望としてしかあり得ないというのに。 贖罪だの悔恨だのといった問題は、キリスト教では重要かもしれないが、仏教ではあまり大きな意味を持たないように思われる。世界の創造神というものを認めない仏教教義によれば、悪とは全て有情が作り出したものであり、その報いは本人が望もうと望むまいと必ず受けることになっている アクセスが禁止されています:@nifty 避けることが可能な問いを前に僕は