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ブックマーク / ueshin.blog.fc2.com (2)

  • 無常のマインドフルネス――『死にゆく人と共にあること』 ジョアン・ハリファックス | 考えるための書評集

    副題が「マインドフルネスによる終末期ケア」であって、マインドフルネスが死とどう向き合うようにうながすかの興味で読んだ。 マインドフルネスや禅にとって、自分が「なくなること」は、自分のほんらいのあり方の自覚にいちばん近いものだと思う。「自分がなくなること」はまさに無や空であって、生きているあいだにその自覚がどれだけなせるのだろうか。 そのような期待でこのを手にとったが、内容は終末期ケアにおける他者へのかかわりを主につづったなのであって、私には死をむかえる他者にたいしてのケアなどとてもできるものではないと思った。アメリカ仏教では、死をむかえつつある人へのケアを積極的におこなっているようである。日の仏教は亡くなった後の葬式だけではなく、終末期患者へのケアをおこなうのだろうか。 私の捉えるところによると、マインドフルネスというのは、自分の判断や思い、感情などを捨てることなのであって、他者への

    nabeatsu1
    nabeatsu1 2020/09/09
  • 精神が安定している人のつくり方 | 考えるための書評集

    twitterでこの数日、精神的に安定している人をパートナーにしたいという話題がよくつぶやかれていた。 いきなり怒りだしたり、不機嫌で人を操作するような人だったり、情緒不安定や感情的に安定していない人は、パートナーとしていっしょに暮してゆくのは苦労が多いということである。 この数年でも、自分で自分の機嫌を治せる人が職場には必要だという話も散見するが、パワハラとか他責でいっしょに仕事をして苦労するのが、自分で自分の機嫌をなおせずに、ほかの人に自分の感情の後始末や責任をとらすような人であるということである。 そもそも日には感情のコントロールを自分でおこなおうという啓蒙も知識の普及もない。恋人や家族に自分の感情のはけ口をもとめたり、職場でもメンバーの感情のケアや気遣いをする感情未分化の状態があたりまえの社会である。いや、自分で自分の感情のコントロールができるという話さえ、だれも知らないのかもし

    nabeatsu1
    nabeatsu1 2020/06/20
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