前回の記事ではロシア軍のキエフ近郊からの全面的な撤退の開始、マリウポリの攻防そしてドンバス戦線へのシフトを描いた。攻勢でも勝てなかったキエフ近郊からの撤退に際し、もしウクライナ軍が反撃、追撃に出たら無理に突出していたロシア軍が壊滅的な打撃を受ける可能性まで考慮していたが、現実にはドニエプル川両岸のロシア軍は共に素早い撤収に成功したようである。 ドニエプル川西岸では最後尾の第35諸兵科合成軍がベラルーシに帰投する直前にようやく追い付いた第44砲兵旅団の観測砲撃を食らった程度で、この方面のロシア軍はベラルーシまで逃げ切りそのままロシア領内を鉄道で東に移動した。略奪したTVや大量の服を故郷シベリアに郵送するほど余裕があったようで、ベラルーシを出撃した時から言われ続けた兵站機能に欠陥があったわけでも、大損害を受けたわけでもないことが伺える。「第二次世界大戦後ここまでソビエト・ロシア軍の主力機甲部隊
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