ふゆの春秋 @technofuyuno .@lizhi3 お絵描きさんはお金を要求するのが最も苦手な人種のひとつなので、制作側がそれに乗っからずに正当な対価を払ってあげてほしいですす 2010-01-03 14:57:00 ふゆの春秋 @technofuyuno 描き手は趣味で描いたものだし、載せてもらえるだけで嬉しい、と思うのも分かるけど、最終的なパッケージが商業になるのだからどこかで考え方が切り替わっているのを注視したいですす 2010-01-03 15:08:50
![イラストの商業誌無料掲載に関するTL](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/495e9fd582f9ee8081f46c825e4adcbef415a40d/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp2%2Fd7e252867c319c1ed17720c32da71776-1200x630.png)
沈黙した「ゼロ年代」 ここまで、80年代〜90年代の、主に日本のロックシーンは〈「ジャンル」の時代〉であり〈「ゴマカシ」の時代」〉である、ということを書いてきた。では、そういった二つのディケイドを跳躍し、次のディケイドへブリッジする「機能」として、「ゼロ年代」はいかなる実績を残したのだろうか? これが驚くことに〈何も残していない〉のである。いや、〈残せなかった〉のだ。 それもそのはずだ。想像しうる(=発明出来そうな)音楽性は、この時点で殆ど既存の「ジャンル」に回収されてしまっているし、そういった「ジャンル」の外にある「個性/物語」としての「ゴマカシ」を追求することも、ナンバガによって一つのクリシェ(=ベタ)と化してしまっている。 ということは、当然この10年間にデビューした若きバンド達には「ジャンル」でも「ゴマカシ」でもない〈まったく新しい表現方法〉が求められていたわけである。だが、そんな
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く