記憶にないけど、俺も知らないと思うな。 https://t.co/r26xsEsuQ3
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IT・メディアMagnifying glass on books with background of bookshelf 本連載のなかでも11月27日朝に公開した前回(第8回)はとみに反響が大きく、4月4日に出された呉座勇一氏(国際日本文化研究センター。以下、日文研)の炎上をめぐるオープンレターについて、その当否を問う論争が再び盛んになったようだ。もっとも議論の質には高低があり、たとえばレターの呼びかけ人であった津田大介氏は同日夕のツイートでこう述べている。 拙稿のタイトルは「オープンレターがリンチになった日」なので、津田氏のいう「「リンチ」とか雑に言うような認識の人」とは私を指す(少なくとも含む)ように思うが、それなら堂々とリンクを張って是非の判断を読者に委ねてはどうだろうか。対立する相手の文章はフォロワーに読ませず、「あいつは無視していい人間だ」(大意)とのレッテルを貼って存在自体を
オープンレター『女性差別的な文化を脱するために』は怪文書です。呉座勇一先生のアカデミアからの追放を求める内容であるか否か?等の文面解釈の議論以前に形式的に決まることです。執筆者が不明なのです。 ひょっとしたらオープンレターというものの性質かもしれません。一揆の傘連判状のように、誰が先導者(言い出しっぺ)か不明にする方法なのかもしれません。それこそ言い逃げを狙ったものなのか?個人的には怖くて手を出せません。 一般論としてオープンレターというものは執筆者が明らかにされないものなの?あるいは発起人が共同執筆者という建前?個人的には誰が書いたか分からない文章に同意を示すという行為が内容問わず当事者目線だったら怖くてできないし傍観者目線だったら不気味なのだが。 — Spica (@Kelangdbn) November 29, 2021 であれば,その良し悪しは別として「オープンレター」一般が怪文書
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