わたしが問題にしたいのは、「「日本人(ヤマト人/和人)」であること」ではない。問題は、属性にあるのではない。どのように行動するのかが とわれるべきだ。 日本社会において「民族的な多数派」に「属しているだけ」で批判されるべきではない。だが、この社会に民族差別を のこしているなら、その制度を なおさないといけない。差別制度によって、自分が結果的に得をしているなら、なにを しているわけでもなくても、差別制度に よいしょされた生活をしている。差別を 再生産していると いっても いい。その状況で、「わたしは なにを するのか」ということ。どのように ふるまうのか、ということ。 たとえば天皇制は、戸籍制度とセットになって日本社会で生活している ひとたちを しばっている。『非婚の親と婚外子』という本で問題にされているのは、婚外子への制度上の差別だ。 戸籍制度は、性別二元論と異性愛主義によって性的少数派を
ほんとにヤバくなってギリギリになるまで相談しない人々: 切込隊長BLOG(ブログ) Lead‐off man's Blog http://kirik.tea-nifty.com/diary/2010/03/post-1da9.html いつも予防線が突破されるので、いずれにせよ年がら年中修羅場になってるわけだが、 修羅場をこなしているうちに、常在戦場みたいな組織が出来上がって、 毎日ラットレースをしている敗戦処理のエキスパート軍団ができちゃう。 戦況だけ見ると実に見事に負けてるんだけど、 担当した局地戦だけはどうにかなっちゃってるというような。 そういう組織は、人が内部から壊れていく。鬱になったり、病気になったりする。 まあ、発展性のない業務に長時間据えられて、 強いストレスに晒されながら安い給料で働くわけだからねえ。 一個一個のデスマーチは、マーチである限り終わりはあるわけだけど、 デス
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