![任天堂の新型VR機を極秘入手!ローンチタイトルはこれだ! - 杜のVR部](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/e1b73c69102676904e01260bcd59bff0e6a94277/height=288;version=1;width=512/http%3A%2F%2Fforest.watch.impress.co.jp%2Fimg%2Fwf%2Flist%2F751%2F109%2Fimportant_image.jpg)
任天堂ハード史の中でも異彩を放っていた3Dゲーム機『バーチャルボーイ』。本機は余りにも異彩過ぎて世間には受け入れられませんでしたが、中にはその魅力に引きこまれ、独自にゲームを開発してしまうコアな方々も存在します。 そんなバーチャルボーイに魅了されたファンの1人であるMr. Anonさんは何と往年の人気格闘ゲーム『ストリートファイターII'TURBO -HYPER FIGHTING-』をバーチャルボーイに移植してしまいました(M.K.さん開発の格闘ゲームエンジンを改造)。 現在のバージョンでは4つのステージ、4人のキャラクターが使用可能となっているそうです。YouTubeには実機で動作させている映像もアップロードされており、しっかりしたゲームプレイが確認できます(3D表示を強調するために象を手前に配置するといった細かい演出も)。 かなり気合の入ったこのバーチャルボーイ版『ストリートファイター
<バーチャルボーイ失敗の原因> バーチャルボーイは、全世界で1億5千万台も売れたゲームボーイの生みの親、横井軍平氏が手がけたゲーム機である。同氏は、これを最後に任天堂を去ろうと思っていたという。 1995年5月発行の「寿現夢」創刊号にて、横井氏はバーチャルボーイについて100点中130点の出来と評しており、そうとう自信があったことがうかがえる。 しかし実際は不振に終わり、その後、横井氏はゲームボーイポケットを手がけて任天堂を去っている。では、なぜバーチャルボーイは不振に終わったのだろうか!? その原因は当時のテレビゲームを取り巻く状況にあったと見られている。 94年末にセガサターン、プレステが発売され日本は空前の次世代ゲーム機ブームとなった。バーチャルボーイが発売されたのはその翌年の95年であり、いわば日本中がゲーム熱にうかされていたような状態だったのだ。 そもそもバーチャルボーイはテレビ
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