タグ

歴史と医療に関するnakakzsのブックマーク (9)

  • 妊婦の死亡率を劇的に下げた「院内感染予防の父」の信じられない末路 - BIGLOBEニュース

    妊婦の死亡率を劇的に下げた「院内感染予防の父」の信じられない末路 All About 2月3日(水)22時45分 写真を拡大 分娩時の死亡率が20%の時代もありました 「センメルヴェイス」と言っても、聞いたことがない人が多いかもしれません。 「センメルヴェイス・イグナーツ」(1818-1865)はハンガリー人の医師。消毒法及び院内感染の先駆者として、「院内感染予防の父」とも呼ばれています。しかし、センメルヴェイスが評価されたのは死んだあと。生存している間、センメルヴェイスの方法論はまったく相手にされませんでした。「手洗い」の大切さを訴え、現在の消毒法、院内感染予防の基礎を作りあげたセンメルヴェイスの功績から紹介しましょう。 ■分娩時の死亡率が20%でも問題なかった!? 19世紀の半ば、分娩時の死亡率が20%もあっても、「モンダイないよね」とされていました。20%というと5人に1人の妊婦は死

    妊婦の死亡率を劇的に下げた「院内感染予防の父」の信じられない末路 - BIGLOBEニュース
    nakakzs
    nakakzs 2016/02/07
    19世紀だからということでもなく、20世紀の日本でもイタイイタイ病の鉱毒説を発表した萩野昇医師が相当責められていたのは有名な話。
  • 生きた人間を解剖した「九大事件」の全容が明らかに 『九州大学生体解剖事件 七〇年目の真実』 | ダ・ヴィンチWeb

    今年は戦後70年。戦争関連の講演会やイベントが多い年となっており、関連も多数出版されている。その中で、戦場や空襲、糧難を描いた多くの戦争とは一線を画す、異色の1冊がある。太平洋戦争末期に、九州大学医学部で行われた生体解剖実験についてのノンフィクション、『九州大学生体解剖事件 七0年目の真実』(熊野以素/岩波書店)だ。「九大事件」と呼ばれるこの実験は、行われた当時は一般人の間で知られることはなく、戦後になってから関係者が戦犯として裁かれたことで、世間の目に晒された。書は、実験の責任者として刑を受けた鳥巣太郎医師を中心に、その真実を追ったドキュメントだ。 事は昭和20年(1945年)4月、軍から九州大学医学部に「捕虜を適当に処分せよ」という指令が届いたことに始まる。実は、この指令は、小森という医師が捕虜への生体実験を念頭に、軍に対して捕虜引き渡しの話を持ちかけたのがきっかけだったようだ

    生きた人間を解剖した「九大事件」の全容が明らかに 『九州大学生体解剖事件 七〇年目の真実』 | ダ・ヴィンチWeb
    nakakzs
    nakakzs 2015/07/23
    戦後の再検証とは、東京裁判否定と同時に、こういうところで責任がうやむやになった軍部などの責任を掘り起こすことでもある。日本会議とかにその覚悟はあるのだろうか。
  • 龍田寮事件 - Wikipedia

    恵楓園という保育施設[編集] ハンセン病の療養所である九州療養所には、患者の子弟を収容する、らい予防協会立「恵楓園」という保育施設が1935年(昭和10年)設立された[2]。1941年(昭和16年)九州療養所は国立療養所菊池恵楓園と改名した。ハンナ・リデルが創設したハンセン病病院回春病院も同年に廃止されて、らい予防協会に寄贈され、回春病院から寄贈された7万円のうちの、19,800円で菊池恵楓園での保育所と同規模の龍田寮が建築された[3]。以前の「恵楓園」に入所していた患者の子弟を収容することになった。学童もいたので、黒髪小学校龍田寮分校が開かれたが、教師も助教諭が一人と少なく、教育も行き届かなかった。中学生、高校生は地元の中学、高校に通学していた。菊池恵楓園は、1942年(昭和17年)より恵楓園は龍田寮の児童を黒髪校校に通学させたいと要求し、熊市は了解したが黒髪校の保護者の強い反対で、

    龍田寮事件 - Wikipedia
  • 歴史上残忍な10の人体実験 : カラパイア

    かつて人類は、医学の進歩向上を目指すが為、同類である人間を実験材料として様々な研究を行ってきた。そこに今のような人道的配慮や倫理観は一切なく、動物実験の延長線上に人体実験があった。 ここでは海外サイトがまとめた、歴史上残酷とされる10の人体実験を見てみることにしよう。

    歴史上残忍な10の人体実験 : カラパイア
    nakakzs
    nakakzs 2014/02/25
    北九州医大事件(遠藤周作『海と毒薬』のモデルとなった事件)があるかと思ったがなかったな(人肉食ったというのはデマらしいですが)。
  • 二階から目薬といいますが昔の目薬は軟膏でした。 なぜこんなことわざができたのですか? - Yahoo!知恵袋

    私もこのことについては昔から気になってました。 軟膏や粉薬じゃ意味がないことわざなのに、かなり古い文献にも似たような記述がある。 考えられるのは黒田如水の先祖が商っていたというメグスリノキなんですが、これは洗顔液で点眼薬ではない。 幕末のポンペ先生が1867年に弟子に伝えて大当たりしたという「精奇水」か?でもこれも軟膏らしい。 後の参天製薬になる田口參天堂が最初の点眼薬を売り出したのは、1899年の事なんです。 通常のQAは結局よくわからないので、このことわざ自体が新しいものなんじゃないかという結論でした。 しかし、ここでこだわりの人のサイトを発見できました。ことわざ研究者(ことわざ学会代表理事)北村孝一氏の「ことわざ酒房」です。 氏は例のトリビア番組で当時は「軟膏の塗り薬」で、二階から目薬は「無理な相談です」「ことわざの意味も出来ないこと、してみても無駄なこと」だという説を聞き、釈然とし

    二階から目薬といいますが昔の目薬は軟膏でした。 なぜこんなことわざができたのですか? - Yahoo!知恵袋
    nakakzs
    nakakzs 2013/04/11
    なるほど。諺自体が新しいってものもあるかなと。綺麗な花には棘があるってのもそんな感じだし(薔薇以外かもしれないけど)。
  • 第12話 衝撃!19世紀以前に麻酔は無かった!?麻酔薬誕生の歴史と真実 | 薬剤師マキの調剤なる日々

    多くの患者にとって、高度医療は今や当たり前のものとなっている。 そして、一部では、“モンスターペイシェント”と呼ばれる「無理難題を言う患者」も現れておるそうではないか。 モンスターペイシェントとは、「病院の待ち時間が長い。自分を先に診察しろ」「診察なんて要らないから薬だけ渡してくれ」、そのような態度をとるも、結果、自分の体調が望むように回復しなかったとき、その不満を理不尽に主張する患者のことだ。 なぜこのような患者が生まれてしまうのか。 それはひとえに、「高度医療を受けられる現代」のありがたみを感じていないからだ。 私が恋人のシラーと過ごしていた18~19世紀。 この世に「麻酔薬」などというものは無かった。 当然、病を予防するための「予防ワクチン」などもなかった。 麻酔薬の無い時代に生まれた私は、愛する人が病の床でその痛みに叫ぶ姿を幾度も見続けてきた。 現代にも、苦い薬、辛い治療、怖

    nakakzs
    nakakzs 2013/01/31
    当然のことながら華岡青州の名前が。ついでに言うとこの時代まで乳を切ると女は死ぬという迷信があり、それも乳がんなどの治療を妨げる要因となっていたそうで。
  • やる夫で学ぶマクロビの歴史と桜沢如一の生涯 1 - Not so open-minded that our brains drop out.

    マクロビオティック (マクロビオティクス、略してマクロビとも) は一般的には健康的な事法の一つとされ、最近では「ハリウッドでも人気」というような触れ込みで日でも紹介されることも多い。しかし、その触れ込みと「マクロビ」という単語の横文字の響きとは裏腹に、その源流が戦前の日にあったことは、どれほど知られているのだろうか。 エントリーでは、その創始者 桜沢如一(さくらざわ ゆきかず)の視点からその歴史と思想について概説し、その理論の妥当性について批判的な解説を加えていく。 幼少期の母との別れ 桜沢如一は1893年(明治26年)に孫太郎と世津子の子として和歌山で生まれた。 毛沢東と同級生なんだお! ____         ,. -‐―――‐-、 / ̄ ̄\      /⌒  ⌒\      γ::::::世津子:::::::::::ヽ、 /   _ノ  \   /( ⌒)  (⌒)\   

    やる夫で学ぶマクロビの歴史と桜沢如一の生涯 1 - Not so open-minded that our brains drop out.
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • 呪術教団化するホメオパシー - 地下生活者の手遊び

    反社会カルトとしてのホメオパシー - 地下生活者の手遊びの直接のつづき。 特定病因論 特定病因論というコトバがありますにゃ。このコトバを説明している論文*1から引用いたしますにゃ。 医療思想史的にみれば、特定病因論はここ1世紀あまり前に支配的となった考え方で、19世紀末の細菌学の確立された後、近代医学が科学的装いを増していくために採用した病気原因の説明モデルである。それはどの病気にもその根原因があるとし、疾患と病因とを一元的な因果関係で結び付けて解釈するものだ。この一元論的病因論を特定病因論(specific etiology;特異的病因説)という。 中略 特定病因論という、患者の一人一人を個性的総合的に見ずにその病気の共通部分だけに着目する分析科学的な方法を採用することで、近代医学は、病因の一元的な説明ができるようになり、この病因の説明モデルに合致した伝染病・感染症やビタミン欠乏症など

    呪術教団化するホメオパシー - 地下生活者の手遊び
  • 1