どこかの図書館で「子どもに読ませたい本 〜 選」といったようなリーフレットが作られたというニュースを目にしました。この「読ませたい本」という表現に少し違和感を感じたので、その違和感について考えてみたいと思います。 特にそのリーフレットを非難する意図はなく、今後、自分が企画を考えるときのためにちょっと考えておきたいなという程度です。コピーの本にも「なんかいいよね。」ではダメで「なぜそれをよいと感じたのか。」を考えることが大事なんだとありました。 どうして違和感を感じたのか? 単に自分がひねくれているだけかもしれませんが、 自分が違和感を感じたポイントは主に下記の3点です。 「読ませたい」から"want"をとると「読ませる」になり、強制っぽい。 「読ませたい本」があるということは「読ませたくない本」もあるのかと勘ぐってしまう。 どうして「読ませたい」のか目的がわからないので、何か意図があるので