平田篤胤の「禊祓詞(みそぎはらいし)」を発掘した功績 話を篤胤にもどします。 さて、「天津祝詞の太祝詞」を求めて「大祓詞」を深く研究していった篤胤にとって、そこに入るべき言葉は「祓いの言葉」以外はありえない、と、まず着想したはずです。 そしてその着想は、確かに的を得ています。 天津祝詞を唱えれば、一切の罪という罪、けがれというけがれが祓われる、となれば、「天津祝詞の太祝詞」とは、「祓いのための言葉」以外にはありえない、と考えるのは当然だからです。 そこで篤胤は、その「祓いの祝詞」を探し求めて、伯家神道、伊勢神道、吉田神道、垂加神道をはじめ、各有力神社に伝わるありとあらゆる文献を調査していったようです。 ついでに申し上げますと、私の家が(鹿島神宮社家<しゃけ、代々その神社にお仕えしている家>第31代家枝神職(けしがみしょく)だったせいか、私の家にも平田篤胤からの鹿島神宮に関する問い合わせの書