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女性史と平安時代に関するnakuramayumicomのブックマーク (2)

  • 斎宮歴史博物館:斎宮千話一話

    第6話  馬が取り持つ斎宮と斎院? 遅くなりましたが、2009年はじめての更新です。早春らしく、歌の話題とまいりましょう。 「馬」という10世紀から11世紀にかけて生きた女流歌人がいました。『百人一首』に採られていないのであまり知られていませんが、歌人としてはかなり有名で、女房三十六歌仙の一人です。賀茂斎院を長きにわたってつとめ、大斎院と呼ばれた村上天皇皇女の選子内親王や、藤原道長の姉で一条天皇の母、東三条院藤原詮子に仕えたとされています。「馬」とは今の感覚ではずいぶん失礼な呼び方ですが、右馬頭源時明の養女だということに由来しているようです。 さて、この「馬」さんは、選子内親王に仕えた後、中宮藤原定子にも仕え、定子が立后した時に掌侍(内侍と通称される)に就任しており、「馬内侍」と呼ばれるようになりました。定子は清少納言が仕えた一条天皇のお后ですから、紫式部や清少納言とほぼ同時代人なわけです

    nakuramayumicom
    nakuramayumicom 2019/08/13
    女性歌人馬内侍について
  • 『光る君へ』平安時代の女官がよくわかる 尚侍 典侍 掌侍 女孺って?

    皇后や中宮、あるいは御息所の差ってご存知ですか? 紫式部や清少納言に興味をお持ちの方は「YES!」と即答かもしれませんが、一般的には、いやぁ、なんとなく雰囲気しかわからんなぁ……という印象かもしれません。 皇后や中宮は、「天皇の后妃(奥様)」の呼び名で、ポジションも微妙に異なっておりました。 以下の記事に詳細がございますのでよろしければご確認いただきたいのですが、 日は、同じようにややこしい「女官(にょかん)」について整理しておきたいと思います。 女官とは、文字通り「女性の官人」であり、内裏で働く、いわば女性公務員ですね。 例えば尚侍や典侍、女蔵人など、コチラも耳にする機会はありながら、でも実際にはキッチリとは把握できていない項目ではないでしょうか。 というわけで稿では「平安時代の女官」についてまとめてみました。

    『光る君へ』平安時代の女官がよくわかる 尚侍 典侍 掌侍 女孺って?
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