上賀茂神社の御手洗川(みたらしがわ)に 架かる橋殿は、神域と人間界をつなぐ 「交流の場」だった。若一光司 川や谷や海や池、あるいは道路や線路の上に架けて通路とするための「橋」は、世界のあらゆる地域に存在する。しかし、「橋であると同時に祭祀(さいし)施設でもある」というような建造物は、ごくごく限られた文化圏でしか見られない。 その一つが、日本に古くから存在する「橋殿」である。 橋殿と言えば、「古都京都の文化財」として世界遺産にも登録されている上賀茂神社のものが、特に有名だ。 「賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)」を正式名称とする上賀茂神社は、平安遷都の以前からこの地に住した賀茂氏の氏神で、神代の昔に本社北側の神山に降臨した賀茂別雷命を祀(まつ)ったことに始まる。678(天武天皇7)年に天武天皇により、現在の社殿の基が造営された。 上賀茂神社の一の鳥居から境内に入ると、二の鳥居へと一直線
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