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2021年1月25日のブックマーク (2件)

  • シリーズ25 上賀茂神社 橋殿(はしどの)|京阪沿線の名橋を渡る|おでかけナビ|沿線おでかけ情報(おけいはん.ねっと)|京阪電気鉄道株式会社

    上賀茂神社の御手洗川(みたらしがわ)に 架かる橋殿は、神域と人間界をつなぐ 「交流の場」だった。若一光司 川や谷や海や池、あるいは道路や線路の上に架けて通路とするための「橋」は、世界のあらゆる地域に存在する。しかし、「橋であると同時に祭祀(さいし)施設でもある」というような建造物は、ごくごく限られた文化圏でしか見られない。 その一つが、日に古くから存在する「橋殿」である。 橋殿と言えば、「古都京都の文化財」として世界遺産にも登録されている上賀茂神社のものが、特に有名だ。 「賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)」を正式名称とする上賀茂神社は、平安遷都の以前からこの地に住した賀茂氏の氏神で、神代の昔に社北側の神山に降臨した賀茂別雷命を祀(まつ)ったことに始まる。678(天武天皇7)年に天武天皇により、現在の社殿の基が造営された。 上賀茂神社の一の鳥居から境内に入ると、二の鳥居へと一直線

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  • 実方中将の墓 | 日本伝承大鑑

    【さねかたちゅうじょうのはか】 藤原実方は中古三十六歌仙の一人であり、歌道に秀でた人物である。美男子で、数多くの女性と浮き名を流したとされる(清少納言もその中の一人である)。そのため後世において『源氏物語』のモデルの一人と目されている。史実としては、藤原北家の左大臣師尹の孫にあたり、左近衛中将にまで昇進し、一条天皇に仕えている。 長徳元年(995年)、殿上にて歌のことで藤原行成と口論となった際、激情の余りに行成の冠を奪い投げ捨ててしまうという暴挙に出てしまった。それを見咎めた一条天皇は「歌枕を見て参れ」と実方に命じて陸奥守に左遷したのである。 来であればしばらくの任期で都に戻れるはずだったのであろうが、実方はこの陸奥国で不慮の事故により生涯を終える。その死について『源平盛衰記』には次のような逸話が残されている。 長徳4年12月(999年)、実方は名取郡にある笠島の道祖神の前を、馬に乗った

    実方中将の墓 | 日本伝承大鑑