ブックマーク / note.com/syosin_kai (6)

  • 幻に終わった対任天堂共同戦線 セガ&SCE|初心カイ

    1990年代初頭、某所にて今後のゲーム業界を大きく左右する二社合同技術研究会が行われていた。 その研究会に参加していたのはセガの佐藤秀樹。後にセガ社社長にまで上り詰め、セガハードの父と呼ばれる男だった。セガ内のエース中のエース、アウトランとスペースハリアーを作った男、鈴木裕もいた。 そしてさらなる男がいた。ソニーの久夛良木健。プレイステーションの生みの親である。 彼らを中心にセガ、ソニー両社の技術者たちが机の上に並べられた資料を持って喧喧諤諤の大議論が行われた。その資料とは、開発途中だったセガサターンの資料だったのだ。隠しているものは何もなく、全スペックを久夛良木たちの前にさらけ出していた。 彼らの頭にあったのは「対任天堂共同戦線」である。当時のゲーム業界最大、最強の巨人に対抗しなければならない。それはセガ、ソニー両者の共通認識だった。そしてじきに「二社が共同で同じハード上で力を合わせるこ

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    namaHam
    namaHam 2023/03/21
  • 判決文を読んでみよう! ─エムブレムサーガ編─|初心カイ

    0.はじめに 2001年7月、任天堂が裁判所に対してとある訴訟を起こしました。 相手先はファミ通の発売元であるエンターブレインと、有限会社ティルナノーグ。目的はとある一ゲームの販売差し止めと、賠償金支払い。そのゲームソフトの名前は「ティアリングサーガ ユトナ英雄戦記」。 これが有名なエムブレムサーガ裁判の発端です。これは一部任天堂が勝訴しつつもかつ、「クリエイターが別会社で似たような作風の作品をつくっても問題がない」という判例が下ったことで有名です。ある種、ゲーム歴史のターニングポイントともいえる裁判であります。 そんな裁判でありますが、実際に判決文を読んだことがある人はどれだけいるでしょうか? あんまりいないと思います。私もようやく読みました。必死になって。大変でした。 この記事はエムブレムサーガ裁判の流れを追いつつ、どのようなやりとりがあり、具体的にどこが認められ、どこが認められ

    判決文を読んでみよう! ─エムブレムサーガ編─|初心カイ
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    namaHam 2023/01/21
  • 特別編 ファミコンカセットのライセンスの歴史を調べていったらおかしなことに気がついた|初心カイ

    こんな形であったりします。自社生産も委託生産も、ユーザー側からしたら「カセットの形状がちょっとだけ変わってる」くらいの意味合いしか持ちません。 しかしメーカー側には重大な違いがあります。委託生産の場合、任天堂が製造する都合、任天堂がどれだけ生産するか決めることができます。 「どうして任天堂が委託する生産量を制限する必要があるんだ?」と思われるかも知れませんが、任天堂が認定したROM工場は多くはなく、毎月百万単位のROMがその少ない工場内で振り分けられ作られていました。もし、複数のソフト会社の大作がぶつかった場合、その製造ラインのほとんどをそれらに奪われ、その他の中小への割り当てが少なくなってしまうのです。その割り当てを決める権利は任天堂にありました。 またナムコvs任天堂でも解説したとおり、任天堂への委託生産の場合は任天堂から厳しい表現チェックが入ります。直接的な残酷表現、性表現、宗教表現

    特別編 ファミコンカセットのライセンスの歴史を調べていったらおかしなことに気がついた|初心カイ
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    namaHam 2022/11/19
  • 3DO -誕生から崩壊へ至るまでのクロニクル- 前編|初心カイ

    はじめに ――3DO この言葉に反応できる者はオッサンゲーマーだろう。20代以下の若者は一度も聞いたことがないかもしれない。しかし、反応できるオッサンゲーマーでも正確に3DOがなんなのか、把握している者はさほど多くはないのではないか? 「ゲームに関わったことがない松下が、適当に出して大失敗したゲームハードだろ?」 くらいの理解でいる方が多いのではないだろうか。実はこの理解はいろいろと事実誤認を含んでいる。 実はこのハードを作るにあたって、多数のゲーマーと、ゲームゲーム業界に詳しい人らが幾人も深く深く関わっている。そもそもの規格提唱者はゲーム業界に大きな影響を及ぼしたレジェンドなのである。そして松下自身もゲーム業界に以前から深く関わっていて、さらにいうならば3DOはゲームハードではない。 この奇妙奇天烈なハードについて解説を行うにあたり少しばかり時間を頂きたい。このハードが生まれ、そして敗

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    namaHam 2022/09/11
  • 絶対に教科書に載らない桃鉄の(ついでにコナミとハドソンの)歴史|初心カイ

    はじめに 桃太郎電鉄 ~昭和 平成 令和も定番!~ が累計販売数350万を突破しました。おめでとうございます。 最新ニュースを掲載しました。 『桃鉄』と「日清焼そばU.F.O.」の異色コラボが実現! ~ 『桃鉄』 の累計販売数は350万を突破 ~https://t.co/AGox7AEIDw pic.twitter.com/8yPM7ozeRv — KONAMI 企業広報・IR (@Konami_PR_IR) March 22, 2022 この売上は驚異的なものです。日において300万以上売り上げたゲームソフトは、実は「任天堂/ポケモン関連」「ドラゴンクエスト」「ファイナルファンタジー」「モンスターハンター」「妖怪ウォッチ」しかありません。とんでもない化け物IPたちに桃鉄が仲間入りした、ということになります(元から長年の歴史を組んだ化け物IPな気がしますが)。 さて、そんな桃鉄

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    namaHam 2022/06/11
  • なぜ町のゲーム屋はどんどんなくなっていったのか?|初心カイ

    以前はどんな地方都市でも「町のゲーム屋」が多数存在していた。駅前には複数のファミコンショップがひしめき、休日になるとそれらに子どもたちが押し寄せ目当てのゲームを買い、中古の棚を漁り、小遣いとにらめっこしながら、友達と貸し借りの相談をしながら、長い時間を過ごしていた。 今、そんなファミコンショップは恐ろしいほどに数を減らしている。「町のゲーム屋」は絶滅危惧種となった。ゲオやツタヤがその代わりを果たすようになった……といえばいいのだが、それらも今やゲームから撤退した店舗すらある。 そういう薄ら寒い状況にあるゲーム業界の小売店だが、さて、いったいいつ、どれだけ町のゲーム屋が減っていったのかを把握している人はいるだろうか? 衝撃的なデータが存在する。メディアクリエイト(一部の人にはとても有名なゲーム関連のデータをやり取りしている会社だ)が発売している「テレビゲーム産業白書」には、「テレビゲームの小

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    namaHam
    namaHam 2022/04/18
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