ヤオイに関するnamako8のブックマーク (5)

  • BL図書を購入した趣旨や目的、またこれまでに購入した冊数及び購入費を教えてください:「市民の声」Q&A 広報・広聴 - 堺市

    現在、北図書館・南図書館・西図書館・中図書館という堺市の4つの大きな図書館において、一般に「BL(ボーイズラブ)」と称される少女向け男性同性愛のが大量に開架されています。男性同士の性愛行為の描写まであり、しかも、そのような内容が一般に少女向けのであることには驚きを隠せません。の表紙は表も裏もともに「男性同士が抱き合っている・キスをしている」などの絵であり、多くの一般市民が利用する公共の施設に、このような破廉恥な表紙のを一般図書と同じ書棚に並べて大量開架するとは、セクハラ以外のなにものでもなく、子どもに対する影響を心配する親のことをまったく考えていないという他ありません。  また、限られた予算の中において、図書館としては他に買い揃えるべき有益なが他にもたくさんあります。「表現の自由」ということもありますが、だからといって文化教養の場である図書館にこのようなを置くこと、子どもに悪

    namako8
    namako8 2008/09/11
    回答"今後は...青少年への提供を行わない"/個々の作品でのレイティングならまだしも、図書館という施設で特定のジャンルそのものをアクセス不可にする発想が不気味
  • WEB評論誌「コーラ」4号/「新・映画館の日々」第4回:私たちは「表象の横奪」論をほってはおかない

    やおい/BLは、主にレズビアン/ゲイ・スタディーズの分野から批判的に評価されてきた。ゲイにファンタジーを押しつける、ゲイを「一角獣のような幻の存在」として描いており「不愉快」である、男性同性愛者の性を商品化した差別表現であるなどと批判されてきた。これらをまとめて表象の横奪(the appropriation of representation)の問題と呼んでおく。 (石田仁「ほっといてくださいという表明」 『ユリイカ』2008年12月臨時増刊号 総特集BLスタディーズ)> 1 それは〈私たち〉にとって何であるか 稿の表題はエピグラフとして引いた石田論文への応答というよりは軽くガンつける挨拶するくらいのつもりでテキトーにでっち上げられたものだが、ここでいう〈私たち〉とは、論文に慣用的に使われて嫌う人もいる(私はけっこう好き)一人称複数ではなく、具体的な二者を指している。むろん、読む人は

    namako8
    namako8 2008/06/19
    「男が(そして男同士の関係が)理想的な高みへの飛翔を目指すその分、取り残される女たちは対照的に、粗野で、惨めで、「現実的」でなければならなかった」/女性性から離脱したものとして想定される「クィア」
  • 表象の流用(the appropriation of representation)について | ロワジール館別館

    「もちろん異性愛男性こそが女性イメージを圧倒的に性的な存在としてパタン化し領有してきたことは論を待たない。そのため「女の側だって少しくらい好き勝手してもいいのでは」という声もある。ただしもちろん、そういった考えは溜飲を下げる以上の効果はもたらさず、生産的な批判ではない、と考えられている」 石田仁「ほっといてくださいという表明」 『ユリイカ』2008年12月臨時増刊号 総特集BLスタディーズ 石田さんはこのように述べるが、男性による女性イメージの「領有」は、なにも“異性愛男性”に限った話ではない。かなり以前のことになるが、タレントのピーコが、深夜番組で「爆笑問題」相手に、「[ピーコは]女らしい」「ピーコさんてほんとに女なんだね」といった反応を引き出すような自己規定を繰り返し、好きな男の顔を見ているだけでいい、何もしなくてもいい、と自らがrepresentする女性主体の脱性化(これは異性愛男性

    namako8
    namako8 2008/04/08
    表象の場における男女非対称性、「女」を横奪の主体(「私」)として措定する困難については、同意。ただ、「ゲイ男性」と「ハワイ・スペイン・沖縄」を並列する乱暴さこそが、postcolonial theory的には問題かと。
  • 佐藤雅樹「少女マンガとホモフォビア」 - に し へ ゆ く 〜Orientation to Occident

    id:nodadaさんが、1990年代前半に起きた「やおい論争」について触れたマンガ評論家藤由香里さんのエッセイをレビューしておられる。 腐男子じゃないけど、ゲイじゃないーコラム『HONEYの蜜×蜜日記』、藤由香里さんのやおい論争。 藤さんはね、まずはこう言うのです。このやおい論争における、表象暴力系の問題について「自分の好きな表現が一定の人を傷つけてしまう可能性があることを表現者は自覚し、そして自分の表現に責任を持ちつづけるしかない(ただし、気にしすぎると表現が出来なくなるのも事実だ)」と仰ってるんです。それはその通りだなと思います。そして、次には「ただ一ついえることは、生身の人間に自分のファンタジーを押し付けてはいけないということ!」と議論を展開していくんですね。 (中略) さて、藤さんはこの議論では「何がファンタジーで何がリアルなのか」ということをゲンミツに触れていませんが、

    佐藤雅樹「少女マンガとホモフォビア」 - に し へ ゆ く 〜Orientation to Occident
    namako8
    namako8 2008/02/05
    「既成の作品を、糾弾ではなく、「批評」していくことが必要なのだ」/そう、批評と、糾弾あるいは禁止との違いは、重視するべき
  • サービス提供終了のお知らせ

    日頃より、Momoたろうインターネットクラブをご愛顧いただきまして誠にありがとうございます。 「ホームページサービス」のサービス提供は2015年11月30日をもちまして終了させていただきました。 これまで長らくご利用いただき、誠にありがとうございました。 今後も、皆様によりよいサービスをご提供させていただけるよう、サービス品質向上に努めて参りますので、何卒、ご理解いただけますようお願 い申し上げます。 <Momoたろうインターネットクラブをご契約のお客様へ> 後継サービスとして「userwebサービス」を提供させていただいております。 詳しくは、以下のリンクをご参照ください。 ▼「userwebサービス」のご案内 http://www.ejworks.info/userhp/mmtr/index.html 今後ともMomoたろうインターネットクラブをご愛顧いただけますようお願い申し上げます

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