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2021年3月11日のブックマーク (3件)

  • 徂徠「制作」論と丸山「作為」論との間 : 子安宣邦のブログ -思想史の仕事場からのメッセージ-

    ■思想史講義・徂徠「制作」論と丸山「作為」論          子安宣邦 徂徠「制作」論と丸山「作為」論との間 ー丸山政治学的言説の陥穽 「自然的感覚的実在性を全く持たずもっぱら人間がある目的意識に従って純観念的に案出したものは最もフィクションらしいフィクションで、ここから擬制資などという場合の「擬制」とか「虚構」とかいう意味が出て来る。「つくりごと」というのは「現実にないもの」ということから遂にはフィクションにはうそというような悪い意味すら附着するが、うそとか現実とかが自然的直接的所与からの距離の程度を意味するとすれば、むしろ近代精神はうそを現実よりも尊重する精神だといってもいいだろう。実はそれがまさに媒介された現実を直接性における現実よりも高度なものと見る精神ということだが・・・・・。」 丸山眞男「肉体文学から肉体政治まで」[1] 1 「超国家主義の論理と心理」 丸山が日の国体論的

    徂徠「制作」論と丸山「作為」論との間 : 子安宣邦のブログ -思想史の仕事場からのメッセージ-
  • エヴァンゲリオン -空虚からの同一化-|斎藤環(精神科医)

    まずはっきりさせておこう、「自分探し」など徒労に過ぎない、ということを。 精神分析、とりわけフロイト/ラカンの教えによれば、人は「語る存在」であるがゆえに、癒やされない欠如を抱えている。人は自らを語りつくす言葉をけっして手にすることはない。人は他者の言葉のネットワークの中に「存在させられる」、それだけだ。そしてここから、精神分析がはじまる。  「新世紀エヴァンゲリオン」(以下「エヴァ」)というアニメーション作品がすぐれているのは、まずこの点だ。主人公・碇シンジの「自分探し」は、結局それが想像的に——つまり擬似的に——解消されるか、あるいは探す行為そのものを放棄する以外には終わりようがないということが、とてもリアルに示されている。だからあの最終二話は、あそこに、あのように置かれるしかなかったように見えるのだ。 ところで精神科医として見る「エヴァ」は、きわめて「境界例」的な作品である。 庵野監

    エヴァンゲリオン -空虚からの同一化-|斎藤環(精神科医)
  • 字の下手な人が30日練習したらどれぐらい改善するのか検証します。 | オモコロ

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    namawakari
    namawakari 2021/03/11
    下手な人は本当に見られるのが苦痛です。それはそれとして、おめえさん、最初からそれなりにかけるじゃねえか。下手くそな奴舐めんなよ(難癖。一番苦手なひらがなは「あ」