■思想史講義・徂徠「制作」論と丸山「作為」論 子安宣邦 徂徠「制作」論と丸山「作為」論との間 ー丸山政治学的言説の陥穽 「自然的感覚的実在性を全く持たずもっぱら人間がある目的意識に従って純観念的に案出したものは最もフィクションらしいフィクションで、ここから擬制資本などという場合の「擬制」とか「虚構」とかいう意味が出て来る。「つくりごと」というのは「現実にないもの」ということから遂にはフィクションにはうそというような悪い意味すら附着するが、うそとか現実とかが自然的直接的所与からの距離の程度を意味するとすれば、むしろ近代精神はうそを現実よりも尊重する精神だといってもいいだろう。実はそれがまさに媒介された現実を直接性における現実よりも高度なものと見る精神ということだが・・・・・。」 丸山眞男「肉体文学から肉体政治まで」[1] 1 「超国家主義の論理と心理」 丸山が日本の国体論的