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読み物とqfwfqに関するnamgenのブックマーク (3)

  • それはそれ、これはこれ――『目白雑録4 日々のあれこれ』とその他のあれこれ - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    引越して、ほぼ、ひと月が経った。日々の暮しはおおむね旧に復したが、部屋のそこかしこに荷解きの済んでいない段ボール箱が積み上げられたままだ。50〜60箱ぐらいはあるだろうか。中身はすべてや雑誌だ。 三月頃から引越しのためのの整理をはじめ、毎週末、古屋さんにお越しいただき、三ヶ月かけて段ボール箱にしておよそ100箱ほどを引き取ってもらった。持って行っていただくのが気の毒な雑の類およそ千冊ぐらいは資源芥として処分した。 そうして残った120〜130箱ほどを引越し先に運び込んだ。傷んで使い物にならなくなった書棚を処分し、あらたに三架ほどを買い足して、すべての書棚にとりあえずを乱雑に詰め終ったのが引越してひと月経った先月末のこと。で、まだ段ボール箱に詰まったまま行き場のないがおよそ50余りはあるわけだ。これも早晩古屋さんに引き取ってもらうしかあるまい。 これからまだ相当数のを処分しな

    それはそれ、これはこれ――『目白雑録4 日々のあれこれ』とその他のあれこれ - qfwfqの水に流して Una pietra sopra
  • 人は死んで文を残す - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    追悼文を読むのが好きだ。とりわけ作家を追悼した文章に目がない。先頃編集をした随筆集(敬愛する編集者が丹精を籠めて書かれたもの)にも数篇の追悼文が収められてい、いずれも一読忘れがたい余韻を残す。それをいうなら追悼と銘打っていない文章でさえ、和田芳恵や山健吉や三島由紀夫やについて書かれたものなどはおのずと追悼の意味合いを帯びて胸を打たれる。文芸編集者の文壇回顧録のたぐいは少なからず読んだが、それらとこのとが一線を劃するのは対象への愛情の深さによるのだろう。知られざるエピソードを語るさいにも著者の筆致はこのうえなく抑制がきいて下世話に堕することはない。好いになったと思う。近々書店に並ぶだろう。 頃日、一冊の追悼文集を拾い読みしていた。『水晶の死』というA5判500頁を超す大冊。「一九八〇年代追悼文集」の副題どおり、1981年から89年までに亡くなった五十余名の作家たちに捧げられた百五十篇以

    人は死んで文を残す - qfwfqの水に流して Una pietra sopra
  • レッシング・レゲンデ - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    隆明インタビューのDVDが届いた。「吉隆明語る 思想を生きる」。京都精華大学創立40周年記念事業として作成されたもので、聞き手は同大学名誉教授の笠原芳光、webで申し込めば無償で送ってくれる。インタビューは2008年12月。今年の1月にNHKで放映された講演とそうかわらない時期だから、ことばも幾分か覚束なくなっている頃のものだ。1時間ほどのインタビューで、60年安保の頃などを回顧した内容それじたいに特に目新しいものはない。 ただひとつ、1960年頃、京都精華大学初代学長の岡清一と平野謙のふたりが、思想的立場をこえて自分(たち)に好意を寄せてくれているのを感じた、それが支えとなっていた、と吉が述懐しているのにおやと思った。岡清一に『自由の思想』(岩波新書)という著書があるが未読であり、どういう人であるか知らない。もうひとりに平野謙の名があがったことにやや意外な念いを抱いた。笠原芳

    レッシング・レゲンデ - qfwfqの水に流して Una pietra sopra
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