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2011年6月11日のブックマーク (2件)

  • 久保隆・書評集

    書、『隆明だもの』は、『吉隆明全集』が、一四年三月に刊行が開始され、「月報」が、毎巻、挟み込まれていて、月報の巻末に著者のエッセイが毎回、収録し、三十一巻(二三年五月刊。全集は、現在、三十三巻までと三十七巻が刊行中)までと三十七巻に掲載されたエッセイと、他紙に掲載された二編と合わせて構成されたものだ。そして、新たに対談された「ハルノ宵子×吉ばなな 姉妹対談」と、『続・最後の場所』3号に収録された「ハルノ宵子さんに聞く」も併せて収めたことになる。特に姉妹対談は圧巻(あるいは苛烈)だ。この書評では、敢えて触れないでおく。関心がある方は、購読して、ぜひ読んで欲しい。 集中、真っ先に視線を向けてしまうのは、次の様に書き出された箇所だ。 「8月がやってくる。イメージすることは、人それぞれ違うだろう。近年の異常な酷暑、宿題にうなされた夏休み、終戦の8月。しかし私にとっての8月は、1996年の8月

    久保隆・書評集
  • 5月、郡山へ ― その3 - 僕等は人生における幾つかの事柄において祈ることしかできない

    この日は祖母の命日だったのでお墓参りへ。瓦が落ちちゃったので、元私の部屋は雨漏りし放題。ベッドは弟が生まれた時に設計士の父が作ってくれた2段ベッドの上部分。 一段目と二段目とばらして弟の部屋と私の部屋に置いたもの。あらぬとこへ吹っ飛んじゃった墓石。どこに水をかけようかで悩む。無事そうに見えても。 福島の人間は地震に対しては悲しんでいたとしても怒ってはいない。長く住んできた家が、土地が、壊れてもまた直せる。 苦しんでいるのは目に見えないものに対してだ。それは「放射能」なんて一言で言えるものではない。 人間の悪意、善意、思惑、嘘、不安、そういったものが織り交ぜられて混沌としている。私は郡山で生まれて郡山で育った。 生まれつき足が悪くて14歳の時に両足を手術した。 尖足と呼ばれる奇形だった私は、その時期に手術をしなければ子供を産めなくなるかもしれないと診断を受けた。「福島の人間は子供が産めなくな