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2013年4月1日のブックマーク (3件)

  • bye-byeさようなら - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    声のいい人だった。よくとおる口跡のいいバリトンで、啖呵売をすればさぞかし似合ったろう。浪花節や河内音頭を論じたりもしていたから香具師にも通じていたにちがいない。大道芸をタイトルにしたもある。そもそもかれの文章じたいが講釈師や香具師の話芸に通じる一種のアジテーションだった。なによりその歯切れのいい文章が好きだった。 一度だけ会ったことがある。もう三十年ほども昔、書評紙の編集者だった頃のことだ。たしか横浜の駅ビルの喫茶店だった。何の原稿を頼んだのか、もう覚えていない。原稿を受け取って少し話をし、ちょうどできたばかりだと手にしていた見――『一番電車まで』だったと思う――をくれた。気風のいい人だった。ジャズから歌謡曲へと論を広げ、『山口百恵は菩薩である』で多くの読者を得る一、二年前のことだ。 初めて読んだは『ジャズより他に神はなし』(71)だったろうか。翌年、『あらゆる犯罪は革命的である』が

    bye-byeさようなら - qfwfqの水に流して Una pietra sopra
    namgen
    namgen 2013/04/01
    平岡正明、澁澤龍彦
  • しかしジャスミンは咲いている - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    ほとんど要約を許さぬ文章というものがある。桶谷秀昭の「含羞の文学」*1という短いエッセイ――というよりもこれは随想というに相応しいが――もそのひとつで、これについて触れようとすればほぼ全文を書き写すしかないが、そうもゆかないので覚束ないけれども(そして原文の味わいを損なうけれども)敢て要約してみよう。 桶谷はかつて短い中野重治論を書いて中野自身から「抗議の葉書を貰つた」ことがあるという。「老いて往年の志気をなほ失はぬ中野重治」と書いた「老いて」が中野の意に染まなかったのだろう、「老年だの晩年だのを動かしがたい実体として認めることを拒否する」のが若い頃から「鋭敏な年齢感覚」をもつ中野の人生に向かう姿勢である。にもかかわらず、中野の「ちりがみ交換」という短篇小説は、「さういふ激しい主観を含めて、作者が晩年にあることをまぎれもなく示してゐた」と桶谷は書き、その小説の一節を引用する。孫引きすると、

    しかしジャスミンは咲いている - qfwfqの水に流して Una pietra sopra
    namgen
    namgen 2013/04/01
    中野重治
  • 続・孤島へ持って行く本――『郷愁の詩人 田中冬二』 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    孤島へ持参したのなかから、もう一冊について書いてみよう。和田利夫『郷愁の詩人 田中冬二』(筑摩書房・1991)。 1 わたしは田中冬二の詩のよい読者ではない。なのになぜA5判・450頁もある浩瀚な評伝を読んでみる気になったのか。それは大正から昭和初期にかけての詩人たちの交流が書につぶさに語られているからである。師である堀口大學、冬二を見出した長谷川巳之吉、生涯の親友であった井上多喜三郎、そして高祖保、岩佐東一郎、城左門、八幡城太郎等々といった詩人俳人たちとの交流について書かれたをいまこの時期に読もうと思ったのは、高祖保の詩集『雪』を偶々古書展で入手し、それについて短文を草したことが機縁となっている。おもしろいものだな、と思う。貧弱なわが蔵書のおそらく九割は未読のままだが、こういうことがあるからなかなか処分できないでいる。 さて、田中冬二は生れてはじめて書いた詩を詩誌「詩聖」に投稿し、

    続・孤島へ持って行く本――『郷愁の詩人 田中冬二』 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra
    namgen
    namgen 2013/04/01
    田中冬二