年が明けて休みに入った病院はがらんとしてまるで放課後の学校のようだが、救命救急センターに入ると相変わらず急患で待合い廊下に人が絶えることがない。エレベーターで四階に上がり病室にはいると少し人が少ないのかなとは思うが、ほとんど変わりなく忙しく人が働き、入院患者の家族待機室にも家族や親族らしき人々が席を埋めている。 妻の姿に生命の危うさを感じることはないが反応があまりない。定期的に体位を変える処置と、痰の吸飲、点滴薬の交換、清拭などが淡々とこなされていく。時折咳でむせる時に見せる苦しそうな表情に現実との通路を感じるのだが、奇妙な倒錯に気づく。現実への通路が開いた時、身体からのセンサーによってモニターは異変を知らせる。本来はその反応が生きている証であるというのに。 現在、苦しみ、痛み、生命を医学というか化学療法が引き受けているかぎり、私の妻が病院から帰ってくることはない、それどころかだれも救えな
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