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shokeimojiに関するnamgenのブックマーク (4)

  • お知らせ - 詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

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  • 豊原清明「有磯海のシンとジン」 - 詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

    豊原清明「有磯海のシンとジン」(「映画布団」2、2009年05月発行) 豊原清明「有磯海のシンとジン」はシナリオである。「シンとジン」は重なり合うと「詩人」である。詩人を主役にした映画であり、登場人物は詩人と父と母と、詩人が出会う何人か。その日常(?)を描いているのだが、これがとてつもなくおもしろい。 ほとんど最後に近いシーン。詩人(英)が女(あかり)の家に行く。机の上に男の写真がある。 英「その人、もしかして、恋…。」 あかり「何でもないのよ。信じて。(声が割れている)」 あかりと英が、ベートーベンをききながら、お寿司をべている。 べ終わると、あかり、ごろんと横になる。 あかり「私と…」 英「い、いや、何を言おうとした、の…。」 沈黙が三十分くらい経って。 あかりが英を抱こうとして、英が悲鳴をあげ、 あかり「静かにして。」 あかえ、すっぱだかになって英を抱こうとする。 英「もっと、優

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  • ナ・ホンジン監督・脚本「チェイサー」(★★★★★) - 詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

    監督・脚 ナ・ホンジン 出演 キム・ユンソク、ハ・ジョンウ、ソ・ヨンヒ これは非常におもしろい。元警官がデリヘル斡旋をやっている。その元警官のたいせつな金づるが消えてしまう。どこへ消えた? それを追っているうちに、猟奇的な殺人者と出会う。彼がデリヘルを殺していたのである。犯人はわかっている。その犯人を元警官はつかまえる。それなのに、追いつめることができない。この矛盾。そこがおもしろい。 そして、その捕まえたのに追いつめられないという「矛盾」のなかに、人間がなまなましく浮かび上がってくる。「社会」が浮かび上がってくる。 犯人は、女を殺しました、とあっさり告白する。どんなふうに殺したかを、簡単に語る。異常性を平然と語る。それなのに、彼は釈放されてしまう。現在の法律では、きちんとした「証拠」がないと、公判を維持し、「殺人者」を裁くことができないからである。犯人は、それを知っている。そして、警官

    ナ・ホンジン監督・脚本「チェイサー」(★★★★★) - 詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)
  • クリント・イーストウッド監督「グラン・トリノ」(★★★★★) - 詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

    監督 クリント・イーストウッド 出演 クリント・イーストウッド、ビー・バン、アーニー・ハー すばらしいシーンがいくつもある。私がいちばん感情を揺さぶられたのは、イーストウッドが病院で診察を受け帰宅し、息子に電話をかけるシーンである。頑固一徹で気弱なところをみせたことのない男が、ふいに寂しさに襲われ、息子に電話をする。息子はそれに気がつかない。仕事が忙しくて、会社だけではなく、自宅でも仕事をしているのだと、そそくさと電話を切り上げようとする。それに対して、どうしていいかわからない。 このとき、イーストウッドは、自分自身の寂しさ、悲しみだけではなく、それまで息子が感じてきた寂しさを実感している。寂しいのに、その寂しさを察してくれないつらさ--それは、いままで息子たちが感じてきたこころだったのである。そして、その寂しさ、つらさが蓄積して、いまは、父は頑固一徹、わからずやだ、という「壁」になってし

    クリント・イーストウッド監督「グラン・トリノ」(★★★★★) - 詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)
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