facebookに疲れた。ずっと前から疲れている。もうやめたい。 TOYOTA の車のCMでバットマンが「他人の人生に立ち止まって、いいねなんて言ってる場合じゃない」 と言っているのを聞くと、私の気持ちを代弁してくれていつもありがとうと思う。 じゃ、どうしてやっているかというと、「宣伝になるからやろう」という会社の同調圧力に負けたから。 ミクシィはその危険な匂いを察知しうまくかわすことができたが、そんな事情でfacebookは避けられなかった。 一応会社では、コミュニケーション取るのはさほどうまくないけど、とりあえず社会生活を送れるほどにはコミュニケーションスキルあります風を装って、まあ大して成功していないのだが、一応その前提の下に会社にいる非リア充の人間にとっては、本当に荷が重い。 今もだけど、facebookシステムがよくわかってなかったから、リア充の人の「やってみると楽しいよ」という
何事も俯瞰(あるいは上から)でしか見られなくなる病気「自分は他人より物事を見渡せている」と思っている人間がなりやすい病気が進行していくと三人称視点に切り替わって戻らなくなるいわゆるTPSのようにカメラ(視点)が体の周りを浮遊している状態友人はこの状態に慣れることが出来ずに鬱になってしまった視点と体を思うように動かせなくてイライラしっぱなしだったらしい一方で、自分はMGSが好きだったから平気だった敵兵呼び出しごっこ、忍び寄りホールドアップごっこ、エロ本設置ごっここういうことして遊んでるうちTPS状態にも慣れていった今ではセルフ散髪なんかも楽々できるようになったもう一生三人称視点でいいやと思うぐらいには馴染んでいる可愛い女の子を気付かれずにガン見できるのも地味に楽しいツイートする
女だし、まだ社会人ほやほやだし、収入から見ても社会的地位からいっても老人に並ぶくらい弱者だけど、フェミニズムが嫌い。 フェミニズムが嫌いというより、SNSで何だか偉そうに御託を並べているフェミニストおばさん達が嫌い。 私はピンクが好きだし、イケメンが好きだし、自分自身のキャリアなんかより大事な人と結婚して幸せな家庭を持つ方がよっぽど大事だし、おじさん達からかわいいだのかわいくないだの若いだの老けてるだの品定めされてもそれは私がおっさんをハゲデブで気持ち悪いと思ったりダンディで親しみやすいと思ったりして時折それを態度に出してしまうのと大して変わらないじゃない、と思っている。 でもそれはフェミニストのおばさん達からすれば差別に対して無自覚で、前時代的な態度で、マチズモに迎合すること以外の何物でも無いようで、あの、女性の代表を自認する彼女達はそういった私達にいともやすやすと「頭空っぽ女」のレッテ
祖父が小さいぼくの書いた絵を、全て褒めて全て保存してくれた 上手だね、といわれすぎたせいで 錯覚したけれど 年齢があがるにつれ自分より上手な人間とたくさん出会って いつのまにか自分は 褒められる側ではなく褒める側になっていた 違う、僕は褒められたい 人を褒めたいんじゃない でも目の前の絵かきは自分より上手いということがわかっている わかってしまったら、嘘をついてまで、貶すことはできない 最初から、絵を書きたくて書いてたんじゃない 思い出せる一番古い記憶の時点でもう、 褒められるのが嬉しくてやってたんだと ついさっき突然気付いた だから、 絵が上手い、あなたの絵が好き、と賞賛されている人を見ると無条件で憎しみをおぼえる 褒められることが目的なので より褒められている人に似せて書くことで ぼくのほしい結果が得られるんじゃないかと思っては 信念もこだわりもなにもない絵を量産する。 模写の訓練のよ
1980年代まで、アニメは夕方5時台~6時台、夜7時台あたりが主流だったよね。日曜午前中の枠もあったか。もちろん当時のアニメが子供、ファミリー向けコンテンツとみなされていたということもあるのだろうけど。そもそも制作費を出す主体が変わってしまったのだよな。 もともとTV番組はスポンサーと契約したTV局が制作費を出してたわけで、アニメーションスタジオもTV局から仕事を受けてたわけだ。製薬会社や製菓会社、おもちゃメーカーなんかがスポンサーになって、アニメを見る人達がスポンサーの名前を覚えて商品を買ってくれることを見込んでいた。当然夕方からのゴールデンタイムは一家揃ってTVを見る時間であり、視聴率が高く、広告効果が見込めるので、潤沢な予算が使えたわけだ。ところが今はゴールデンのアニメはめっきり減ってしまった。 1990年代までは結構エヴァンゲリオンもあったしその影響を受けた後発の作品群も多く夕方に
こんなのを見ました。 togetter.com あとついでにこれも http://togetter.com/li/828700togetter.com まぁその、言いたいことはタイトルで言ったので、あとはなんでそうなのかをつらつらと書いてるだけですから興味のある方だけ適当に。 要約 何事も練習すればそこそこ出来るようになる。それこそ学校の科目の高得点ぐらいなら ただ、やり方によっては近道遠回りみたいな事があるのかもしれない なぜなら学校はどうしてもある程度「画一的に」「マニュアル頼り」にならざるを得ない側面があるから そこらへんと種目の親和性がそんなに高くない科目がある。体育は多分それ しかし、うまいこと科目の特性つかんで、傾向と対策知ってれば、なんとかいい方向に連れていける事もある。例えば体育であれば、予習がメッチャ大事みたいな 科目ごとの特性をちゃんと見て行動したらいいよね。っていう大
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