本日発売の「週刊新潮」掲載記事についてご説明致します。 この度は、心から応援してくださっている皆さまには、私の軽率な行動により多大なるご迷惑とご心配をおかけしたことに対しまして、深くお詫び申し上げます。そして、自由民主党が大変な時期に私事でさらなるご迷惑をおかけしましたことにつきましても重ねてお詫び申し上げます。誠に申し訳ありませんでした。 昨年の参議院選挙の際には、全国各地で様々な方からご支援をいただき、全くの素人だった私に一から選挙をご指導いただき、おかげさまで当選を果たすことができました。ご支援ご指導いただいた中には国会議員の先生のほかに、多くの全国各地の地方議員の方々もいらっしゃいました。本日の記事にある市議もその中の一人です。 私が立候補することで以前お付き合いをしていた方とは、すれ違いの生活になり、当選してからは慣れない仕事に一から勉強をする日々になり、昨年末頃にはお互い話し合
稲田朋美大臣が「日報」問題の責任を取る形で辞意を表明した。2012年末の第二次安倍政権発足以来、内閣府特命担当大臣として初入閣、第三次安倍内閣(2016年~)では防衛大臣の要職を務めた。 2005年の総選挙(郵政選挙)での当選以来、福井1区から代議士としてのキャリアを進めた稲田朋美は、安倍総理からの「寵愛」ともとれる厚遇を受けるとともに、入閣前から圧倒的なネット上の右派クラスタ(以下ネット右翼)からの熱狂的な支持を集めた。 当時、ネット上での愛称は「ともちん」。「初の女性総理待望論」まで出るほど、彼女の見せかけの評価はうなぎ登りに上昇していった。そんな稲田に、第二次安倍内閣で入閣の秋波が送られたのは必然の理、と言える。 そもそもなぜ稲田はネット右翼に熱狂的な支持を受けるに至り、「ともちん」の愛称で呼ばれるほどの「アイドル」として登場してきたのか。きっかけは2003年。弁護士であった稲田が毎
そんなわけで、民進党代表・蓮舫女史が辞意を表明することになりました。 求心力の高まらなかった民進党を救うべく人気のある蓮舫女史が代表になり、陣頭に立って党勢回復を図るはずが、二重国籍問題を最後まで引っ張られ、都議会選挙ではお膝元から離脱者が続出するという状況でしたので、まったく本意ではない退陣ではないかと思います。 ともあれ、蓮舫女史はお疲れさまでした。 思い残すことだらけで、悔いのあるところかとは思いますが、まずは臥薪嘗胆、再起を目指してほしいと思います。 時を同じくして、防衛大臣の稲田朋美女史が辞意。防衛次官の黒江哲郎さんの更迭が発表され、陸上自衛隊トップの陸上幕僚長・岡部俊哉さんも辞意という流れになっております。蓮舫女史退陣が好機だと思ったのかと思いきや、改造前に大臣辞職を前提としていたような話も伝わってきて世の中うまく回らないものだなと感じるわけです。 稲田朋美防衛大臣、辞任の意向
稲田朋美防衛相の夫で代理人も務める稲田龍示弁護士が、2015年の週刊新潮の記事で名誉を傷つけられたとして、発行元の新潮社と同誌編集長に500万円の損害賠償などを求めた訴訟の上告審で、龍示氏の敗訴が確定した。最高裁第一小法廷(大谷直人裁判長)が、6日付の決定で龍示氏の上告を退けた。 問題になったのは、同誌15年4月9日号の記事。当時自民党の政調会長だった稲田氏への取材で、代理人として対応した龍示氏について、「世間を知らない弁護士バカ」と書いた。一、二審判決はともに「表現は穏当さを欠くが、論評の域を出ない」として龍示氏の請求を棄却していた。(千葉雄高)
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く