平城宮跡(奈良市)の南東約1キロで、奈良時代後半(8世紀後半)の小規模な10棟分の建物跡が出土し、奈良県立橿原考古学研究所が22日発表した。 平城京の中でも宮殿に近く、奈良時代前半に有力貴族らの大邸宅があった一等地に、下級役人の〈官舎〉ともいえる小宅が建てられたとみられ、同研究所は「人口増で土地が足りず、高級宅地の一角を切り分けたのではないか」としている。 4200平方メートルを発掘し、建物跡のほか、井戸跡7基、道路跡などが出土した。建物は小規模で、1棟当たりの広さは6〜36平方メートル、柱の直径は約10センチ。調査地の地層を調べると、奈良時代前半は更地で、後半に道路や塀で区画されて宅地になったらしい。 南隣には実力者だった藤原仲麻呂、北西約300メートルには天武天皇の孫で左大臣の長屋王が、それぞれ邸宅を構えた。調査地が当初、更地だった理由について、同研究所は「高位の人々の邸宅の周囲