薩摩藩邸跡石碑(京都市・伏見区) 薩摩藩(さつまはん)は、江戸時代の藩。藩庁は鹿児島城(鹿児島市)、藩主は島津家。薩摩・大隅の2か国および日向国諸県郡の大部分(現在の鹿児島県全域と宮崎県の南西部)を領有し、琉球王国(現在の沖縄県)が服属した[注釈 1]。 江戸時代に鹿児島に藩庁を置いた外様藩。鎌倉時代の頃より薩摩を支配してきた島津家を藩主とする。版籍奉還後に鹿児島藩と改められた。薩摩藩は、廃藩置県が行われるまで存在していた。表高は72万9000石[1]。琉球を含めた最高石高は90万石(籾高であり、実際の玄米高は約半分)と加賀藩(現在の石川県・富山県)に次ぐ大藩を形成した。 薩摩藩の家臣団の家格は正徳元年までに整備され、御一門(4家、私領主)、一所持(21家 私領主)、一所持格(約20家)、寄合、寄合並(寄合、寄合並をあわせ約60家。「三州御治世要覧」ではこの家格を「家老与」と呼んでいる。以
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