円谷 幸吉(つぶらや こうきち、本名:つむらや こうきち[1][注 1]、1940年(昭和15年)5月13日 - 1968年(昭和43年)1月9日[注 2])は、日本の陸上競技(長距離走・マラソン)選手、陸上自衛官。 福島県岩瀬郡須賀川町(現・須賀川市)出身。中央大学経済学部卒業。自衛隊体育学校所属。最終階級は2等陸尉。第一級防衛功労章、勲六等瑞宝章受章[3]。 5000m・10000m・20000mで日本記録を樹立し、1964年東京オリンピックのマラソンで3位入賞、10000m走で6位入賞を果たした。しかし、オリンピックから約3年後の1968年1月に自殺を遂げ、当時の日本の社会に大きな影響を与えた。 生涯[編集] 生い立ち[編集] 1940年(昭和15年)5月13日、福島県岩瀬郡須賀川町に生まれる[4]。7人きょうだいの末っ子(上に兄5人、姉1人)で、生家は田畑や山を持つ農家だった[4]