naok1991のブックマーク (3)

  • ぼくとちんこの三十年物語 - 関内関外日記

    ※性的な話を含みます。あと、長い。 1 今日はいい朝やった。昨日の夜まで雨がふっとって、それが朝には快晴や。ぼくは冬の冷たさと乾燥が好きなんやけど、ほこりっぽいのもきらいでな。雨がぜんぶ流しさってくれて、それで、空がどこまでも青いんや。こんな朝は年に何度もないよ。できるだけたくさん空気吸いこみたいと思うし、そうやって満ち足りながら、出勤してきたんや。 そうしたら、街に近づいてきてな、これも珍しい光景やないんだけれどもな、歓楽街のきれいなおねーさんがタクシー待ちとかしとるんや。したら、ぼくそういうのの免疫ないから、ドギマギしてしてしまうし、思わず目が行ってしまうのです。あかん、さっきまでの清浄な気持ちはどこに行ってしもうたんや。まったく、そういうもんやな。 2 同い年の友だちに柴田くんいうのがいて、幼稚園のころやった。柴田くんには三つくらい上のお兄さんがいて、よく遊んどった。 ある日、ぼくの

    ぼくとちんこの三十年物語 - 関内関外日記
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    naok1991 2009/12/14
  • 書評、S.グールド著 『人間の測りまちがい ―差別の科学史』(2008、河出文庫) - 女教師ブログ

    昨年文庫版で出た改訂増補版を、今更ながら読む。「人間は違っていると同じになりたがる。同じだと違ったものになりたがる」(かなりおぼろげな引用) 石井洋二郎は、ブルデューの『ディスタンクシオン』の主題を、差異化と同一化を同時に欲望する往復運動であると簡潔に要約した。*1  3世紀にわたる「知性」をめぐる“科学的”な営みも、基的には同じ欲望に突き動かされている。  多様でてんでバラバラに散逸している人間の知的能力。科学者(生物学者・人類学者・心理学者)たちはそうした混沌とした状況に我慢ならなかったのだろうか。彼らは、頭蓋骨の容量や身体の計測、IQテストなどの道具を利用して、「単一の尺度」に位置づけることを選んだ。 共通の土俵の設定は、それだけで終わったわけではなかった。共通の土俵は、人間の知性の序列につながり、それは必然的に知性の優劣を可視化することを意味した。 そしてその序列は、不幸なことに

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    naok1991 2009/02/16
  • 2006-04-12

    とにもかくにも、ぶっ通しで忙しいままにトラブルシューティングをしているので、和月伸宏論を書けないままにきてしまっている。たださすがに今週のジャンプを見ると、当初考えていた俺のDEATH NOTEの第二部最終回予想とかなり重なっていたので、ここはメモ書きでも一発、書かなきゃいけない。ちょっと覚え書きで少年向けビルドゥングスロマンの現在に関する私論をちょっと書いてみる。 以前も書いたが、教養小説=ビルドゥングスロマンの条件をざっくり書くと以下のようになる。 教養小説=ビルドゥングスロマンの定義 未熟な人間が冒険を経た上で、大人へと成長していく過程を描く。 そのストーリー中で主人公が体験・獲得するのは以下のものである。 (1)父親の超克 父親が成し遂げられなかった偉業を達成する。父親は必ずしも実父である必要はなく、「師匠」である場合もあれば、「父の世代が倒せなかった悪」としての「魔王」である場合

    2006-04-12
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    naok1991 2009/02/04
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