社会科学に関するnaokyuのブックマーク (3)

  • 生存学創成拠点

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  • 2007年8月3日のブログ記事一覧-研究生活の覚書

    内輪の勉強会で、『歴史のなかの政教分離―英米におけるその起源と展開―』というを読んでいたら、その中で成蹊大学の安部圭介先生が「ロック対デイヴィ判決」を紹介されていた。それは政教分離・信教の自由・連邦制を憲法学から検討した論文の中の一部分なので、詳しくは各人が読まれたいが、それとは別に妙に印象的だった箇所があったのでメモしておきたい。それによれば、ワシントン州では1999年、学業に秀でているが経済的に恵まれない高校生の大学進学を支援するために、Promise Scholarship Programという奨学金プログラムを創設した。アメリカの良質の大学には私立大学が多く学費が非常に高い。だから大学に進学できるかどうかは基的に奨学金を獲得できるかどうかにかかっている。 件のPromise Scholarship Programの奨学金を得るには、成績要件、所得要件、出身校要件といろいろあるわ

    2007年8月3日のブログ記事一覧-研究生活の覚書
  • 社会学玄論

    この独自の社会哲学思想について分析を加え、今後、この思想が多くの人々にコミュニケートされていき、現代日社会において、社会統合や自我統合の機能を果たすことができるか社会学的に検証していきたい。 さて、訂正可能性の哲学が言わんとすることは、真なる民主主義や平和を実現するためには、既存の社会の否定や修正ではなく、訂正によって可能となるということである。既存の社会の否定は左翼やリベラルの立場であり、既存の社会の修正は右翼や保守主義の立場に対応することになる。このような二つの対立する立場を止揚し、訂正する力のみが持続可能な社会を可能にするというのである。そして、明治維新や戦後の象徴天皇制などは、訂正する力の賜物だと主張している。これまでの日社会の社会改革は、既存の社会体制を全否定する革命ではなく、また単なる伝統の修正でもないというのである。日社会は、革命でもなく、伝統の継承でもなく、訂正する力

    社会学玄論
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