2018年3月24日のブックマーク (2件)

  • 天職は見つかるものでなく辿り着くもの – kuranuki – Medium

    天職とは何か。自分が好きなことで、その仕事に適性があり、社会の役に立つような仕事、それを人は「天職」と言うのだろう。 そんな天職に就くことが出来れば、毎日の仕事が楽しくて仕方ないものになる。なんて幸せなことだ。 誰もが自分の天職だと思える仕事に出会えたら良いのだが、なかなかそうもいかない。自分の天職はどこにあるのか、悩む人も多い。 果たして、どうすれば天職を見つけることができるのだろうか。 結論から書くと、タイトルの通りで、いつか見つかるものじゃなく、仕事をしていくうちに辿り着くものではないか、と考えている。 社会の役に立つ仕事を選ぶのは大前提だとするならば、自分の好きなことと自分の得意なことが、仕事を選ぶ際の判断材料になる。 偶然にも、好きなことと才能があることの重なる仕事が見つかれば良いけれど、その確率は高くはない。才能の有無は事前に判断できないし、どれくらい好きかなんて、続けてみない

    天職は見つかるものでなく辿り着くもの – kuranuki – Medium
  • いくら正しくても、失礼だと敵視され、殺されてしまう。

    どの会社にも、どんなコミュニティにも一定数、「失礼な人たち」がいる。 「失礼」は抽象的な表現であり、相対的なものなので、当然、ある人が失礼と感じることが、他の人にはそうではないことがたくさんある。 だが、「失礼」は確かに存在している。 「論語」によれば、失礼というのは、慎みと敬意がない、ということである。 例えば、インターネットではよく見かけるが、相手に「バカ」「無能」と言ってしまうのは、失礼にあたる。 同じように、誰かが間違ったことをした時に、皆の目の前で「間違っている」と批判することも、失礼な行為だ。 ◆ 以前、こんなことがあった。 その企業は小さなシステム開発会社で、ワンマン経営をしている社長がいた。 そして、その社長は思い込みの強いタイプで、会議でよく間違ったことを言った。 例えばこんな具合だ。 「ソフトの品質が悪いのは、仕事への思い入れが足りないからだ!」 現実的には、ソフトの品

    いくら正しくても、失礼だと敵視され、殺されてしまう。