小学生低学年の頃は今と違ってゲーム機も持ってなかったし、外で遊びまくってた。 昔は家の前に花壇があって、そこにサルビアが咲いていたのでその蜜をひたすら吸ったりしてた。今は親が年を取り、世話をするのが大変になったみたいで、緑色の雑草だけが一面に生い茂ってる。 近所に駄菓子屋があったので、そこで母親からせびった小遣いで、当たり付きのきなこ餅(爪楊枝に刺してあって、先の方が赤く塗られていたらもう1本貰える)を無限に食べたりした。俺が中学生になる頃には店主の婆さんが病気にかかったらしく、一年中電気がつかなくなった。今ではその店も取り壊されて、車が4台ほど停まれる駐車場になっている。 自転車を買ってもらった時には、家からどこまで離れた場所に行けるのかを試したくて、死ぬほど漕いで全く知らない場所まで来たのは良いものの、いきなり辺りが暗くなってきて、大声で泣きながらなんとかかんとか家まで帰ったら、「こん
「おつかれ~」という課長の声と共に、ドッと疲れが押し寄せてきた。俺は椅子の背もたれに全体重を預ける勢いで、上体を仰け反らせた。ここのところ働きづめで、自分が疲れているということすら自覚できなかったように思う。毎日毎日遅い時間に帰っては「今度休みになったら洗濯しよう…」と思ってから1ヶ月経過した布団に倒れ込む。皮脂の臭いを鼻いっぱいに吸い込むと、次に目を開けた時にはチュンチュンとスズメの声が聞こえてくる。人間、長い時間働いていると頭がおかしくなって、何連勤でも働けるようになるものだということを、こうやって仕事を始めてから知った。乾いた笑い。 それはそうと、今日は仕事納め。ようやくこの生活から、ちょっとの間解放される日だった。さて、家に帰ってから明日の予定を考えてみると、驚くほど何も無いことに気が付いた。俺の生活は仕事に支配されてしまっていたのだ。仕事以外の予定を想像できない。文字通り、『想像
俺が所属する九州の事業所内で大きい仕事があり、東京の本社の方から応援として、30代後半くらいの係長がしばらく九州に滞在することになった。 広島弁を話す彼は、とにかく仕事に一生を捧げているような人間であった。すぐに俺は圧倒されてしまった。仕事の為ならいくらでも残業できるし、その後の飲み会でも2次会・3次会は当たり前、翌日が朝8時出勤だとしても午前4時まで店で酒を飲んでいる。かと思えば翌日は7時30分には出勤してきて、涼しい顔をしつつまたバリバリと仕事をこなすのだった。 そんな感じで日々は過ぎ、大きな仕事も一段落つき、職場の人間みんなで飲み会をしようという話になった。 あとはいつもの流れで1次会……2次会……と進んでいき、最初の頃は大勢いた参加者も、次第に少なくなっていった。 2次会終了後、カバンを背負いながら「さ、俺も帰ろうかな」と気持ちを整えていたら、後ろから当時の俺の上司が肩を掴んできた
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