ゼミで、『リバーズ・エッジ』を取り上げた。そのために久しぶりで読み返してみると、あらためてやっぱり名作だという感を深くした。 以前、小谷野敦氏は、『リバーズ・エッジ』も無垢な子供の共同体という幻想から自由ではない、と批判していた(『文学界』2002、1月号)。この作品は、果たして子供の共同体を一様のものとして描いているだろうか?大人たちを、子供の共同体との対比において、一様に薄汚いものとして描いているだろうか? 明らかにそうではない。子供の中にも、本質的に無理解な人間(たとえば、田島カンナ、観音崎、小山ルミ)がいて、山田君や吉川こずえさんや若草ハルナとは描き分けられている。大人はわずかしか登場しないが、子供と比べて必ずしも悪く描かれているわけではない(たとえば、ハルナの母p-67) この作品において子供の世界が中心となっているのは、ありふれた紋切り型を描くためではなく、現代においてはそこに