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Cynicismに関するnash-bridgesのブックマーク (3)

  • 「戦闘美少女の精神分析」とツンデレ=ヒステリー論 - 萌え理論ブログ

    議論の流れ 404 Blog Not Found:書評 - 戦闘美少女の精神分析 orangestarの日記 - 戦闘少女の精神分析とスキゾパラノ なぜ、フィクションの世界なのに、読者たちは♂の主人公に直接暴力(的妄想)を託すのではなく、そのカノジョたちに暴力を託すようになったのか? 現実世界における男子による暴力の封殺が、ほぼ完成の域にまで達したからではないか http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50878556.html 戦闘美少女とは、暴力を振るう存在であると同時に、暴力を振るわれる存在でもあるということだ。 http://d.hatena.ne.jp/orangestar/20070725/1185302690 オタクは戦闘美少女を通じて欲望する まず、「戦闘美少女の精神分析」の著者である精神科医の斎藤環の見解はこうだ。戦闘美少女とは

    「戦闘美少女の精神分析」とツンデレ=ヒステリー論 - 萌え理論ブログ
    nash-bridges
    nash-bridges 2007/08/05
    筒井康隆を権威無き権威として消費者は狂信(喜んで奴隷になるが憎んでいる)してたが、そんな隠蔽された階層的二項対立も消失したってこと?ヒステリー=神経症=権威主義でOK?
  • 書籍出版 双風舎:【連載】「思想の死相」

    現代思想の裏の元祖ともいうべき存在であるニーチェは、『悦ばしき知恵』の中で、「神は死んだ! 神は死んだままだ! それも、私たちが神を殺したのだ!」という有名なフレーズを書いている。このポジティヴな意味にもネガティヴな意味にも取れそうな両義的な台詞は、近代哲学が抱えてきた根源的な矛盾を的確に言いあらわしているように思われる。 宇宙の創造主であると共に管理者である「神」を放逐してしまった近代思想は、「人間」自身を、自分自身と世界の主人(=主体)の位置へと押し上げた。近代哲学は、認識主体である「自我=私」を絶対的な中心点とする完全な理論体系を構築することを目指すようになった。近代の政治思想は、各個人がみずからの“主体”性に基づいて、全面的に自由に生きられる社会の実現を目指すようになった。近代の自然科学は、人間の意志によって自然を全面的に把握し、支配することを目指すようになった。近代の「人間」たち

    nash-bridges
    nash-bridges 2007/08/05
    「神殺し」は「自殺爆殺」テロるチヨコ。「私」は滅びぬ!何度でも甦る!!!エクリちゅるやさんは超人宝貝「神神昆布」がめがっさ好きだにょろ〜ん。言葉の向こう側って残りの七次元かも
  • ■ - ココロ社

    ■ - ココロ社
    nash-bridges
    nash-bridges 2007/08/05
    あー、やっぱこの人って絶望系だったんだなぁ。
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