近代というデジタル化 最近のネオリベラルや、動物化をめぐる議論は、アナログとデジタルの関係で語るとわかりやすいのではないだろうか。 アナログとはこの世界の連続性であり、決して反復されることがない。たとえば放り上げたボールの軌道を古典力学で計算できても、現象は空気や熱などの環境に左右され、あくまで近似的なものでしかない。では、そのような環境も含めて計算すればと思うが、原子単位のふるまいを観測することなど不可能である。物理学はどこまでも近似でしかない。このよな意味で、この世界(アナログ世界)は連続であり、決して反復されされないし、再現されることはない。 人はこのようなアナログ世界を単位で切り取り、その関係性を見いだし、近似的に記述してきた。それがデジタル化である。たとえば大量のリンゴがあり、品質管理するために大きさで分類するとする。長さが2cm単位で分けると、10cmも12cmも、10〜12c
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