文と写真 平民金子 十数年住んだ東京から神戸に引越して一年がたった。メリケンパーク、ハーバーランド、北野異人館、南京町中華街、三宮、元町、有馬温泉や宝塚歌劇といった、ガイドブックに掲載される華やかなイメージを、引越す前の自分もどこかに持っていたとは思う。けれどそういった新生活にまつわる甘い予感は、神戸暮らしと同時期に始まった子育てのいそがしさによって全て追いやられた。寝て起こされてはオムツ替え、寝て起こされてはオムツ替え。そして子どもの機嫌取り。合間にこなす家事雑事で一日が暮れていき、読書、映画鑑賞、酒場通い、ふらっと旅に出る事、好きだったことがらが一つ一つ、自分から遠ざかって行くのが分かる。 赤ちゃんという10キロ近い「重り」を抱えての暮らしは、引越し前にイメージしていたものとかけ離れ、家と近所の公園の往復だけで精一杯。ヨメさんと子ども、犬一匹。新生活にそなえて買った「るるぶ」を棚の上に
僕のマンガ家デビューは1979年、第12回「週刊少年チャンピオン新人まんが賞」の佳作に入ったのがきっかけで、その年の暮れには最初の週刊連載が始まった。 そして小山田いくが同じ賞の佳作に入ったのは、同じ79年の第13回(同賞は1年に2度募集があり、僕が上期、彼が下期にあたる)。翌年から『すくらっぷ・ブック』の連載が始まった。 かように同賞はなかなか受賞作が出ないまま、佳作に入った応募者を次々にデビューさせていたので「秋田書店は賞金を払いたくないだけじゃないか」と陰でささやかれていた。真相はわからない。 それはともかく、同時期の同雑誌デビュー、歳もほぼ同じ(小山田氏のほうが一歳年上)とあっては、いやがおうにも意識せざるをえない存在ではあった。 しかしそれは、ライバル視、というのとはちょっと違っていた。 僕はギャグマンガを志向しており、小山田いくの描くマンガはキャラクターこそ2頭身から3頭身とギ
バックヤードツアー「保存と修理の現場へ行こう」は、毎回応募者殺到の人気ツアーです。 今年も2016年3月17日(木)、3月18日(金)に開催され、抽選で選ばれた42名(2日間)の方に参加いただきました。 私も広報室インターン生としてツアーに同行し、取材しました。 トーハクにおける文化財の修理は、解体などをして全体的な修理を行うものが年間70~100件、部分的に行う最小限の修理が年間700件以上あります。 実際どのような過程を経て保存・修理が行われているのか、ツアーの様子とともに紹介しましょう。 今回のツアーでは、2年前に導入された大型のX線CTスキャナーなど、コンピューターを使用し科学的・数学的な客観的データを計測する施設。実験室と呼ばれる、浮世絵や絵巻など一つ一つ手作業をする修理部屋。そして、刀剣の手入れなどを見学。 参加者の方々には文化財の保存と修理についての理解を深めていただく内容と
徒歩0分の景勝地、日本の海の見える駅・海に近い駅を多くの写真とともに紹介しています。現在、全国で238駅を掲載。
東京の都心から南へはるか1250㎞。ここで日米両軍が繰り広げた死闘は、クリント・イーストウッド監督の傑作映画にも描かれ、世界中によく知られている。一般人が観光で訪ねることのできないこの小さな島に、ひょんな偶然で行けると知った「私」が見たものとは──。「世界でいちばん遠い島」への探訪ノンフィクション。 職業も年齢もバラバラの人たち 今から8年前のことである。 2月のある寒い日の朝、私はアルバイトの面接を受けるため、東京・市ヶ谷にあるホテルを訪れた。ロビーで待ち合わせていた友人の山田君は先に来ており、スーツを着ていた。私はジャケットを羽織っているものの、カジュアルな格好だ。 やがて、宮川さんという私たちと同年代の男性が、いつものように穏やかな笑顔で現れた。山田君と私をこのアルバイトに誘ってくれた人物だ。私たちは「おはようございます」と挨拶して、3人で面接会場の部屋に向かった。 市ヶ谷には以前、
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