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ダイアリーと名文に関するnattowのブックマーク (5)

  • ある個人史の終焉 -after game over

    賃貸暮らしのわが家の地震対策【揺れから命を守る編】 以前のブログでも記載した、防災の優先順位に基づいて対策を進めています。まだ手をつけられていない部分もありますが、ある程度まとまってきたのでざっくりとご紹介していきます。 優先順位別に改善していっているため、今回は主に地震の揺れ対策がメインになります。…

    ある個人史の終焉 -after game over
    nattow
    nattow 2007/10/18
    次のエントリ d:id:idiotape:20071017:1192624063 もあわせて読むこと。
  • ネットの言論はクズ - finalventの日記

    ⇒切込隊長BLOG(ブログ): 新聞社OBに「ネットの言論はクズだ」とボコられる ま、そりゃ、ネットの言論はクズでしょ、またーり、みたいにも思うのだが、言論とかいうときのスコープが違うのな。非モテとか非コミュとか、俺くらいの歳のフツーの男とかから見ると、別に情報業界場末の中小企業社長さんにぶいぶい美学を語らせるまでもなく、バカじゃねーこいつらってことになる。で、ま、端的にネット側から応答すると、爺、氏ね、つうことになる(そして俺も爺だ)。そのあたりのズレの全体構図がわかってないとネット言論の持つ潜在的な意味はよくわかんないですよ。ってか、補助線的に言えば、吉隆明が80年代にマスイメージ論あたりでサブカルチャーを文学と同一地平に置いたあの柔軟性みたいなものが、今、ネットの言論で起きているのに気がつかないやつ、ゆっくり寝ていてください、というか、言わなくても安眠しているげ。ま、俺くらいの歳で

    ネットの言論はクズ - finalventの日記
    nattow
    nattow 2007/06/05
    「クズしか書くわけねーじゃん」そう。そうなんですよね・・・。
  • あなたは自分の人生の経営者ではありません。子供たちもいずれ自分の人生の荒波に消えていきます。 - finalventの日記

    って感じかな、俺はね。 私は人間の人生というのは失敗するようにできているのだと確信している。 なので、成功を実感しつつ、ポジティブに生きている人間というのがよくわからない。ボルネオには私の知らない生物がいるのと同じくらい。 というあたりで、考えが止まる。 まあ、いいや、私は私なり考えてみよう。 生きていると困難にぶつかる。半分は偶然だ。しかし、その偶然が、げ、それはないでしょっていうくらい悲惨なことがあるのが、人生の不可解の一つだ。ここから得られる一般論は、人生というのは大方運命だな、と。 死んだ人は帰らない。 失われた愛は戻らない。 がっつんと不運に会ったら人生は終わるまでの不良債権処理みたいなもん。 で、あと半分だが。 自分が生きようと目論見ると、困難になる。これは多分に、自分は自分の心に嘘はつけないなというところに端を発している。もちろん、自分の心に嘘をつけないやつなんか社会に生きて

    あなたは自分の人生の経営者ではありません。子供たちもいずれ自分の人生の荒波に消えていきます。 - finalventの日記
    nattow
    nattow 2007/01/25
    私は私。なるようになる。
  • 「繋がりやすい」が、「広がらない」はてな - 新しいTERRAZINE

    この記事の元タイトルは「はてブでは当に凄いネタは拾えない」だったのだが、それだとタイトルのみで終了なので、マルコに書くって言った手前、もちょっと書いてみた。 「サランラップだけでごはんを炊く」が2万PV越えした理由 千年旅行はじめました - サランラップだけでごはんを炊く 当然ながらタイトルの「サランラップだけでごはんを炊く」がものぐさどもの琴線に触れたから、というのはあるが、これまで一度も「注目」入りすらしていない「過疎ブログ」*1が突然170users越えホッテントリ・2万PVを叩き出すには、なにかきっかけが必要だ。それは何だったのか。はてブの一覧を見てみると… 2006年12月04日 TERRAZI 1get ワシの1getがきっかけだったことが分かる。が、ワシのブクマは被お気に入り登録数「8」で、「アルファクリッパー」にはほど遠い。だからワシは「導火線」を用意したが… 2006年

    nattow
    nattow 2006/12/07
    落ちがなくても十分にうなずける話。消費文化にはうんざり。
  • また君か。@d.hatena - 近年稀にみる落胆

    ひさしぶりにおれの人生に落胆した。調理の腕のなさっぷりゆえにだ。うまい料理を作る能力がないだけなら、まあ特に気にするほどのことでもない。うまい料理を作ることができるひとが偉いのは、料理をうまく作ることのできるひとが少ないからだ。少数の偉さを保障する相対的に偉くない多数は、それは「普通」ということであって「不幸」ではない。しかし、マズい料理を作ってしまう能力があるようだと深刻だ。一体いまおれはなにをした。米と挽肉とタマネギと卵だ。まあ卓に並べられるべき優れた献立と呼べるようになるまでには、あと少々なにかが必要かもしれない。しかしこの組み合わせなら、間違ったことでもやらない限りは、いちおう人間のいものらしいものが出来上がるはずだった。にもかかわらず、出来上がったのは見るも無残べるも無残、とても料理などと呼べたものではない代物。包丁貴族・団英彦ならずとも餌と呼ぶ。それ以下だ。マズい。馬に蹴

    また君か。@d.hatena - 近年稀にみる落胆
    nattow
    nattow 2006/11/08
    わしもこんな文章を書いてみたい・・・。
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