なぜかというと、国のトップである天皇にはそれなりの経験が求められていたからです。 さらに、天皇という地位は一度ついたら死ぬまで決して誰にも譲られることはないという大原則があったからです。 (ちなみに、史上はじめて譲位したのは、これよりあと、7世紀中頃の女帝・皇極天皇=大化改新のクーデーターの時の天皇です) つまり聖徳太子が天皇になるには、推古天皇よりも長生きしないと即位できる可能性はゼロだったわけです。 実際には、太子は622年に49歳で死に、推古は628年に75歳で亡くなっています。 女性は長生きだってことです。 中2で父を亡くす 「聖徳太子」という呼び方(尊称)と聖人君主的なイメージは、死後50年以上たってから作られたものということが最近の研究で分かっています。(最近時々話題になる「聖徳太子はいなかった」説はこのことを言っているのです) では、後世に作られた伝説を一枚一枚はがしていくと