歌川国芳 源氏雲浮世画合・帚木 奈良・平安時代、女性は平仮名の成立に重要な役割を担い[1][2]、鎌倉・室町時代には宮女らによって女房言葉が発達した。 近世以前の女性の話しことばは、地域や身分により大きく異なる。源氏物語では漢語を多用する『賢い女』が否定され[3][4]、鎌倉・室町時代の女訓書には「女は言葉づかいをあいまいにして感情を表さないのがよい、軽率にものを言わない、口を大きく開けず低い小さい声で話す、乱暴な口のきき方への戒め」との記載がある。江戸時代における武家や上流町人間においても、女訓書には、女が日常で使うべき言葉づかい『婦言』が薦められており、「丁寧な言葉遣いを用いる」「漢語よりも和語を用いる」など、女性の言葉遣いとして望ましいとされた[4]。 また、先述の女房言葉や、遊廓にて広まった廓詞のような、特殊な環境で発達した女性語の一部が、上流階層の女性に広まることもあった。しかし