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9-自殺と宗教に関するncnrのブックマーク (2)

  • 自殺と向き合えない仏教 - 浄土真宗@

    9月6日の朝日新聞朝刊に「仏教、自殺とどう向き合う」と題して、自殺を考える人にどう仏教が対処しようとしているか記事が掲載されていました。 葬式仏教と揶揄される現状にとどまらず、生者に寄り添えるのか。 記事では、臨済宗の僧侶が僧侶約3000人に「自殺問題研究会を作ろう」とハガキを出したところ、返事をくれたのは3人にとどまり、会は実現していない例を取り上げ、多くの僧侶が及び腰になっている現状をさらけ出している。 また、よくマスコミも取り上げる「自殺志願者駆け込み寺」の篠原鋭一氏の取り組み、また自殺率が最も高い秋田県での動きが紹介されていた。 前項でも述べたが、「葬式仏教」でさえ行き詰まりが来ているのに、更に「自殺者」に向き合えるほど、僧侶には余裕が無いのが実情。 「死んでしまった人」に対しての「葬式」はできても、「死を考えている人」への「カウンセリング」の知識など、もともと僧侶には皆無なのだ。

    自殺と向き合えない仏教 - 浄土真宗@
  • 宗教は自殺を抑止出来るか、という話。 : 不倒城

    気になった話題。 自殺と向き合えない仏教 つまり、「宗教は自殺を抑止する背景をそもそももっているのかどうか」という議論に落とし込める話じゃなかろうか。 ちょっとおさらいしてみたい衝動に駆られた。 何百年か昔、宗教と政治が並びたっていた時代には、割と明確な担当分野の区別が存在した。つまり、宗教は「彼岸」つまりは死後の世界、政治は「此岸」つまり生者の世界を担当する、という区分である。 ちょっと極端な書き方になるが、かつての宗教の最大の役割は、死後の世界を定義することだった。今でもそうなのかも知れない。「死んだ後どうなるか」というビジョンを明示することによって、信者の死への恐怖を希釈する。死が怖いのは「その後何があるか」が分からないからだ。宗教は死への恐怖を取り除く。 死後に救われると信じるから貧しい生活にも耐えられる。また「悪いことをすれば地獄に落ちる」と信じるからモラルを維持出来る。そういっ

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