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ブックマーク / parupuntenobu.hatenablog.jp (2)

  • 近頃の若いものは・・・ - 昭和考古学とブログエッセイの旅

    気づいてみれば、10日以上もブログを更新していない自分に気づきました。 先月から続く酷暑で書く気力が削がれてしまった、営業ツールとして始めたツイッターのフォロワーが増え、そっちが楽しくなってきた(フォロワー1000人越えると反応が違ってきて面白い)。 そんな事情もあるにはあるのですが、すべては言い訳にすぎません。 主要因は、書き出すと止まらないけれどサボり出しても止まらない、私人の性格が影響しています。つくづく己の性格の愚かさに気づく始末。 すっかり苔がついて固まった腰を上たものの、しばらく書いていないと何を書いて良いのかわからなくなります。 正直、ネタはいくらでもあります。あれも書きたい、これも書かねばと気だけが焦る。 しかし、私の下書き欄はい散らかした文章のゴミ捨て場と化し、整理整頓がヘタクソな書斎のようになっています。 ネタが多くていいなーと人は言います。しかし多すぎると、どれか

    近頃の若いものは・・・ - 昭和考古学とブログエッセイの旅
  • モダンガール、エアガール…昭和の「尖端ガール」たち - 昭和考古学とブログエッセイの旅

    昭和初期とはどんな時代か。これは政治・経済・文化・・・人によって切り口が変化します。それが歴史の多様性というもので、見方は一つではありません。 その中でも、社会史・女性史という点という観点から見ると、女性の社会進出が急激に広まった時代という見方があります。 女性は家庭に入り家事をやっていればいい・・・そんな古い価値観にヒビが入り始めたのは1920年代、大正末期のこと。 格的な社会進出が始まったのは昭和初期の5~6年頃ですが、その間接的な証拠に、女性の社会進出をもじった新語が、この時代に雨後の竹の子の如く出現しました。1930年前後の流行語辞典を見てみると、 「○○ガール」 という言葉が山ほどあらわれます。1920年代の辞書には全くなく、明らかにこの時代に生まれた言葉ということを物語っています。 大手を振って社会に出る女性たちを世間は、 「尖端ガール」 と呼んでいました。 「尖端ガール」っ

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