2017年1月12日のブックマーク (2件)

  • 【初詣ベビーカー論争】ベビーカーについて良く知らないから、押しながら都内を歩いてみた | SPOT

    スマホ及びパソコンの前のみなさま。 はじめまして、長橋と申します。27歳、独身です。 さてみなさんは、新年早々、ネット上で大論争に発展した“とある騒動”をご存知でしょうか? 初詣「ベビーカー自粛」要請で大騒ぎ 「差別」批判へ寺側の意外な言い分 / J-CASTニュース 要約すると、初詣に「ベビーカー自粛」を呼びかける神社が現れ、Twiterを中心にネット上で激しい批判が巻き起こったものの、その後神社側は元々「ベビーカー優遇措置」をとっていたのに、参拝客のモラルに欠ける行動などやむにやまれぬ事情で自粛を呼びかけていた事が判明した、というような流れです。 「混雑時のベビーカーは自粛すべきだ」という意見を耳にするたび、車椅子も同じように思われているのだろうと肩身の狭さを感じる。不寛容な社会になればなるほど、「生きづらさ」を感じる人が多くなっていく。誰かを排除することは、「次に排除されるのは自分か

    【初詣ベビーカー論争】ベビーカーについて良く知らないから、押しながら都内を歩いてみた | SPOT
  • 創価学会を抜けた人のブログがおもしろい ※追記

    ぐぐったらたくさんあるんだね。 読んでて思ったこと。 ・創価学会の教えは現世利益追求みたい。宗教って死後の世界に救いを求めるものが多いもんだと思ってたけど、どうも創価学会は題目を唱えることが現世利益につながるという教えらしい。他方、死後どうなるかについては割とあやふや。 ・上の教えの結果、脱会者が口をそろえて言うのは、「題目を唱えても何にも幸せにならなかったよ」ということ。題目唱えてたのに病気になったとか、受験に落ちたとか、熱心だったあの人も今は無年金だ、とかそういうのが多い。 ・この点、死ぬまで幸福になるかどうか分からないキリスト教はうまいな、と思った。 ・そう思っていても抜けられない人がいるのは、題目をやめることで何か不幸が起こると教えているのが一つの要因らしい。なので脱会者は「脱会しても別に不幸にならなかったよ」と言う人も多い。 ・とはいえ脱会しても信仰までは捨てられず、別の宗教に走

    創価学会を抜けた人のブログがおもしろい ※追記