2006年6月26日のブックマーク (2件)

  • ブログで日記を書かないという選択もある - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園

    Blog向上委員会 だから何?」を読んで。 別にあなたのために書いているわけではないし、そんな一行だけのコメントを残すぐらいなら、今後このブログを読まなくても私はぜんぜんかまわない。書き手には書く自由があり、読み手は読む自由があるのだから。 私の屁理屈なのかもしれないが、読み手には読む自由があると言うのなら、読み手が一行だけのコメントを残すために読む自由もあると私は思ったのだが。これもまた私の誤読なのだろうか。 私はウェブだから何を書いてもいいという認識が常識であるとは思っていないが、何を書いてもいいと思う人間だ。だが、私自身は書くつもりは無い。ただ、書く人間を非難するつもりはないし、自分に対して不愉快な事を書かれたとしても何も抗議はしないだろう。といっても断言は出来ない。全てはその立場になってみないと分からないからだ。しかし、そうありたいとは思っている。それが私の理想という事なのだ。

    ブログで日記を書かないという選択もある - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園
    nekoishi
    nekoishi 2006/06/26
    否定的なコメントが来るたびに、私が日本人だから、と考えてしまうのですよ。
  • ウェブ上では、書く事は伝えることに、読むことは受け取ることに繋がるのかもしれない - こんな世界のはしっこで・・・:楽天ブログ

    Jun 25, 2006 ウェブ上では、書く事は伝えることに、読むことは受け取ることに繋がるのかもしれない カテゴリ:ネット・サイト だから何?【Blog向上委員会さま】 コメントを書くとき、私は常に受け取る相手のことを頭の片隅で意識している書いているつもりです。そもそもコメントに書くということはそういうものだという思いがある。そうでなければ、コメントを考えるたびに前回の記事みたいなことは起きないだろう。まあ、私の場合、少し考えすぎなところがあるのかもしれませんが。 だからということもあって、わたしの言葉のほとんどは、ブログやはてブなどの「自分の場所」から発せられていたする。でも、ここも「自分の場所」ではあっても、「自分だけの場所」ではないのだと思う。そこに書かれる言葉は私だけに伝わるだけじゃないのだし。 ウェブ上のやりとりは、基的に画面越しで行われる。だから、意識しなければ伝える相手の

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