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ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (2)

  • 査読を信用しない - jun-jun1965の日記

    http://sociology.jugem.jp/?eid=277 確かに社会学にはそういう傾向があるのかもしれないが、少なくとも私は査読者って信用していないんだよね。 たとえば私のこの論文は、結果として明治大学の紀要に載せたんだが、 http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20050814 田中貴子さんがよく寄稿している日文学協会の『日文学』に投稿して没になった。短すぎるから、というなら仕方ないと思いつつ、没の理由を聞かせてくれと言ったら、もちろん無記名の返事が来て、 「『源語提要』の著者が五井蘭洲であることは、伊井春樹編『源氏物語注釈書・享受史事典』に暗に示されているから」というのだよ。なんで「暗に」示すのか。明に示せばいいではないか。私はそれで日文協を脱退して、「まじめにやれ」という手紙を書いておいた。田中貴子の「安徳天皇女性説について」なんて、エッ

    査読を信用しない - jun-jun1965の日記
    nekoluna
    nekoluna 2009/04/02
    査読者かえろとか要求できないわけ?普通できるもんだと思ってたけどできないところとかあるんだ
  • ■ - jun-jun1965の日記

    私はWHOや厚生労働省が出しているという「受動喫煙」の害に関するデータというのを信用していない。これは、別に私が信じたくないからではなくて、私だって「害は確かだが現在の規制は過剰だ」と言ってしまえばよほど楽だと思うくらいだ。だが、学者としての良心がそれを許さない。 なぜか。 さる地方の医師が送ってくれた『統計学を拓いた異才たち』(サルツブルグ、日経済新聞社)に「喫煙はがんの原因か」という章がある。その中に、バートランド・ラッセルが記号論理学を整える過程で「原因と結果」というものだけがどうしても記号論理学で表現することができなかった、とある。「原因と結果というものは存在しない。それは通俗的な妄想であり、純粋理性の攻撃に耐えられないあいまいな概念なのである。それは矛盾したアイディアにおいて相互に一致しないものを含んでおり、科学的言説においては、ほとんど、もしくはまったく価値を持っていないので

    ■ - jun-jun1965の日記
    nekoluna
    nekoluna 2009/02/21
    出版バイアスのことを言ってるのかなあ・・・    メタアナリシスではそれくらい考慮されてると思うけど。
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