例えば、カウンターカルチャーと呼ばれるもののように、抑圧されることへの怒りに支えられた文化は、それが認められ、迎え入れられること、つまりメジャーになることが、同時に敗北をも伴うというジレンマを持つ。要するに「真理は戦うことができねばならず、敵対者を持たねばならない」。 だとすれば、もうずっと前から、パンチラは敗北していたのではないか。 おれがアニメやイラストのパンチラに敬意を払えない理由といえばこれはもう一つしかなくて、そのパンチラが用意されたパンチラ、約束されたパンチラだからだと思う。 http://d.hatena.ne.jp/./nekoprotocol/20071025/1193314278 喜んで食べたあの地鶏が、実は廃鶏だったというこの屈辱。鶏肉には適正価格と安全性を求めるように、真のパンチラには偶然性が求められねばならない。 あらかじめ定められ、供給過多となったパンチラ、世に