企画展 地域メディアの横顔 昭和の地域振興 昭和初期に普及しはじめたラジオ報道は、速報性はあるものの一過的で、地域の情報にほとんど対応しなかった。それに比して新聞はくりかえし読め、印刷された写真は記事の視覚的理解を助けた。新聞は近代メディアとして成熟期にあった。全国紙の地方版・各県版が生まれるなか、地方紙は地盤をより固めるため、自らの地域的役割への認知を喚起させる方策をはかってゆく。 新聞社が特定のテーマを設定して人気投票をつのり、読者の興味を呼び起こしたことはよく知られている。『横貿』は、昭和5(1930)年4月から5月にかけて「新住宅地十佳選投票」を実施した。 震災後の関東では私鉄網が発展した。県内では、東京横浜電鉄・小田原急行電鉄の開通、神中鉄道の横浜乗り入れ、京浜電鉄と湘南電鉄との連絡があった。 鉄道沿線の住宅地開発は、鉄道にとっては旅客確保につながり、地元にとっては農耕地や山林が