横須賀線は明治21年の着工で、池子の火薬庫が設置されたのは昭和13年であり、関係はありません。 横須賀線建設までの経緯は以下のとおりです。 明治19年6月 軍略上の必要によって、陸海大臣連名で鉄道の敷設を要請 明治20年11月 井上鉄道局長官より 調査結果報告:「…他ノ線路ナキニ非ラスト雖モ難易比較シカタク、結局該線オ以テ最良ノ経路トス。」 陸海両大臣への照会:「他ノ数線ヲ試測スルニ更ニ迂回ニシテ工事一層困難ナルカ上労費益加リ、之ニ比スル二本線ノ費額多カラズシテ径捷、旦水電局所在ノ長浦港ヲ経ルノ便利アルニ如カサルニ依リ、到底本線ヲ以テ最良ト見込選定致候」 (『横須賀線百年』神奈川新聞社) 分岐点を大船でなく藤沢とする計画もありましたが、トンネルの数を減らすためと、藤沢の住民の反対もあり、大船起点と決定しました。 (『神奈川県史 史料編一八』 一六八号・一六九号,『神奈川県史 通史編六』,『