見知らぬ他人を救おうとする努力を目の当たりにするたびに思う。僕には出来そうにもない、その行為を、しかし手放しで賞賛することにも躊躇がある。現実の知り合いなら責任をとれることもあるけれど、ネットの向こう側には届くものと届かないものがあって、僕らができることは精々現実の力を借りることをアドバイスするくらいだから。 何かをした結果、救いになる、と言うのはあっても、能動的に救おうとすることはとても難しいことだ。それがわかっているからと言って、目の前の苦しみを放置しスルーする僕はやはり冷たいのかもしれない。罵倒をする人よりも。