ブックマーク / note.com/nipponcontext (2)

  • 努力が時に命がけだ、という人は、成功とは何かという事を理解していない|文脈くん

    この記事が、少なからず炎上した。炎上したのは、高須賀さんに、重大な「事実誤認」があるからだと思う。 まず、世の中には松杏奈さんに対してこういう批判がある。 「お前が努力だと思っているものは、努力でもなんでもない」 「単に恵まれた人間の自己賛美に過ぎない」 「自分が恵まれた人間だという事をちゃんとわきまえてからモノを言え」 それに対して、高須賀さんはこんなふうに反論した。 「恵まれていたって、成長は痛い」 「恵まれていても、努力は全然ラクではない」 「己の中に背水の陣を敷く」 各論の詳しい内容は元記事を当たっていただくとして、高須賀さんは一貫して「努力は難しい」と言う。そして、それは「恵まれた環境だからできるわけではない」と言う。 その例として、エチオピアのマラソンランナーの話を取り上げた。エチオピアのマラソンランナーは、才能で走っているように思われがちだが、実は命がけで、それこそ「背水の

    努力が時に命がけだ、という人は、成功とは何かという事を理解していない|文脈くん
    nemuiumen
    nemuiumen 2022/05/17
    所詮カードが配られた段階で全部決まっている。私は比較的いいカードを配られたが、ただ運が良かったと思う。努力は金銭的に報われるべきではないし、ゴリゴリ再分配すべき。
  • ウィル・スミスはなぜ許されないのか?|文脈くん

    アメリカでスタンドアップコメディアンは、「聖域」を守るという役割を担っている。その聖域とは「言論の自由」だ。 アメリカにももちろん、言っていいことと悪いことという価値観はある。特に、社会的責任が重い人の言動には、大きな責任が伴う。従って、彼らの舌禍は大きな炎上へとつながり、少なからず責任を取らされることになるだろう。 しかし、スタンドアップコメディアンはその例外なのである。スタンドアップコメディアンは、アメリカ社会唯一の例外として「何を言ってもいい」という特権が認められている。たとえそれが差別的な言辞であっても、だ。日人は、そこのところが分かりにくいと思う。 なぜなら、アメリカの社会は日以上に実は価値観の自由度がない。価値観が固着しがちで、伝統的な常識というものに、日以上に縛られやすいところがあるのだ。 だから、それを意図的・定期的に解体していく必要がある。そして、その役割を一手に担

    ウィル・スミスはなぜ許されないのか?|文脈くん
    nemuiumen
    nemuiumen 2022/04/02
    何があっても守られるなら危険地帯でもなんでもないだろ。/その特権階級的な立場でやってることが時の政権の揶揄ならともかく(本邦にも皇室を揶揄する予備校講師とかはいる)病人いじりって。
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