ブックマーク / fktack.hatenablog.jp (2)

  • 自己肯定なんて言葉は邪魔だ - 意味をあたえる

    私がインターネットでおぼえた言葉のひとつに「自己肯定感」というのがあるが、そのワードはだいたいそれが低い人によって使われ、高いから云々、というのは見たことがない。そもそも自己肯定感なんて言葉はあるのだろうか。自己否定はなんか高校時代から使っていた気がする。生い立ちがどうのとか、とにかく自分がダメな理由探しをする時期は誰にでもあると思う。なぜならそれは気持ち良くて手軽だから。何かにつけて「俺はダメだ」と主張する人が私の友達にいるが、結局それはチヤホヤされたいだけのように見えた。私は、だから、人はいかに無個性になるかとか、他人に無関心になるかがとても大事だと思っている。他人に対する興味がなくなれば、なにができるとかできないとか、些末な問題になるのではないか。私は最近ボルダリングを始めて、私はまったくの素人だからなるべく人のいない時間に行ってこそこそ練習しているのだが、そういう自分に自己嫌悪をか

    自己肯定なんて言葉は邪魔だ - 意味をあたえる
    nenesan0102
    nenesan0102 2016/12/05
    自己肯定感があんまり低いと、最悪犯罪まで行きかねないからねぇ。だからいろいろな人が自分の自己肯定感について知ったり共有するのはそれなりに有意義ではあると思うけどな
  • いちばんの不安 - 意味をあたえる

    私はもろもろの不安はあるがその中でいちばん大きいのは 「自分の子供が死んだらどうしよう」 という不安である。しかし「もろもろの」とつけたもののそれは一種の保険のようなもので、実際は単に不安というレッテルを貼られたものがほとんどである。しかし自分の子供が死んだらダメージがでかい。よく子供の虐待死とか、虐待じゃなくても色んな要因で死んでしまう子供がいるが、そういうニュースを見ると自分の子供に置き換えてしまうから、可能な限り見ない。 「娘が事故で亡くなった」 という言葉があるとき耳に飛び込んできて、「ああ、またか」と気持ちが沈んだが、その後「娘(68)」という文字を目にしたとたん、 「なんだ」 と心が軽くなったのは、結局自分の子供に置き換えられるかどうかの心の作用な気がする。あと木曜の夜にやっている「アンビリバボー」という番組でもよく、 「余命いくばくもない子供」 とか出てきて、もう見ていられな

    いちばんの不安 - 意味をあたえる
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