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ブックマーク / qushanxin.hatenadiary.org (3)

  • 「右傾化」の理由 - 狂童日報

    昨日赤木さんの文章を読んでいろいろ触発されたが、わかってきたのは「右傾化」の意味である。アカデミズムやジャーナリズムという場に属する人間にとっては、「右傾化」に対する批判的なスタンスはほとんど必要条件である場合がほとんどである。そのせいか専門では緻密な実証研究に従事する人でも、「偏見だらけで頭の悪い権威主義者」みたいな粗雑なイメージ(実際に粗雑ではあるが)で「右傾」を語り、そこにある歴史観を「修正主義」というレッテルで終わらせていることが多い。そして年長世代だけではなく若者までがそうした「右傾」にはまってしまうのは、今の社会に対する不安や閉塞感を打破しようと「安易でわかりやすいもの」に飛びついたからであると解釈されることが一般的である。つまり、アカデミズムやジャーナリズムは、これをどこまでも「不健全」で「病的な現象」として処理したがっているのである。しかし繰り返しになるが、「右傾化」という

    「右傾化」の理由 - 狂童日報
    nennpa
    nennpa 2006/12/08
    ウヨもサヨもカクメイ勢力、同じ穴のムジナと。
  • 希望は戦争 - 狂童日報

    格差社会論も傷気味と思っていたところに、『論座』1月号に赤木智弘「「丸山眞男」をひっぱたきたい」という文章を読んだ。大げさじゃなく、この1年の格差社会論で最も刺激的で面白い論文だった。 今までの格差社会論の多くは、「真面目に働く庶民」を前提とした「新自由主義」「勝ち組」批判が多かったし、フリーターやニートの問題も、「新自由主義」「勝ち組」と呼ばれる層が批判の矛先になっていた。しかしこの現役フリーターを自称する赤木という人は、「真面目に働く庶民(=労働者)」を敵視する。自分を「弱者」であるとためらわず自己定義し、怠惰なのではなく「不幸な世代」であるだけだと訴える。そうして彼は主張する。いま「平和な社会」の維持を語ることは、定職と家庭をもつ上の世代の豊かな生活を維持し、若者を家庭ももてないような弱者にとどめておく、現在の状態を維持することでしかない。それに比べれば、国民全員が平等に苦しむ戦争

    希望は戦争 - 狂童日報
  • 核武装論―議論はなくてもいい - 狂童日報

    核武装論が一段落したが、気になったのは「議論はあってもいいではないか」という意見がかなりあったことである。ネットで上多かったのは予想通りだが、新聞やテレビなどでも少なくなかったのは正直なところ驚きだった。 おそらく、大半の人は「核武装はするべきではない」と考えているし、言いだしっぺの中川政調会長や麻生外務大臣なども「非核三原則は堅持する」ということを明言している。しかし結論が出ているなら、どうして議論をする必要があるのだろうか・・・・?断っておくが「議論はあってもいい」のは当たり前である。テレビの討論番組で核武装論に言及する人はいくらでもいる。しかし、国会の貴重な時間を割いて議員同士が議論する必要があることなのかどうかは、全く別の話である。ところがこのことを理解せずに、「核武装は反対だが議論はあったほうがいい」という、自家撞着を起こしている人たちが後を絶たない。そこでは、「何を主張するため

    核武装論―議論はなくてもいい - 狂童日報
    nennpa
    nennpa 2006/11/12
    どんな形であれ、政府内部の人間が「核武装」に言及する「だけ」で、政治的な意味合いが出てきてしまう、それだけのこと。/政府を離れた第3者に因果を含めてそう言わせれば解決。
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