幼い頃、母は私に月300冊もの絵本を読み聞かせてくれていた。1日10冊、となると図書館で絵本を選んでくるだけでも一苦労だったはずだ。ある時、珍しく仕事から早く帰ってきた父に、母に代わって絵本を読んでもらおうとしたことがあった。飲食店の店主だった父は、仕... この記事は、父の家族のルーツと生きた道のりの一端を、古い書類をたよりにたどったものです。父は、私が中学2年生の時に亡くなりました。その後、家族の戸籍を手にし、父が在日コリアンだったことを初めて知ることになります。 「なぜ、父は自身の出自を語らなかったのか?」――その疑問に答えを見出そうと、父の生家やその周辺に暮らす在日コリアンの歴史を調べていきました。そしてそれは、壮絶な差別やヘイトスピーチの問題に向き合うことでもありました。今もネット上で消費され続けるヘイトクライムの映像の数々を目にする度に、私は思うのです。「もしかすると父は、こう
![安田菜津紀および在日コリアンへの差別投稿・ヘイトスピーチに対する訴訟について - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b67df4f132521d1a4e1542f810fd0f713d8eb844/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fd4p.world%2Fwp%2Fwp-content%2Fuploads%2F2021%2F12%2FPC080363-scaled-e1638946669540.jpg)