→紀伊國屋書店で購入 発明とモードに狂うのは内がうつろなればこその たとえば知る人ぞ知る愉しい図版集、デ・フリエスの“Victorian Inventions”(邦訳『ヴィクトリアン インベンション』)をのぞくと、19世紀末人士が発明狂の新時代をどんな具合に夢みていたものかわかる。自転車、自動車、汽車、気球、飛行機のヴァリエーションから光学器械、蓄音装置、電話電信、ありとあらゆるものが、既に現実化したもの、ただ単に途方もない空想のもの、一切区別なくずらずら並ぶページは実に面白い。デ・フリエスの大冊は後に『創造の魔術師たち』と名を変えて別の版元から出た邦訳でも愉しむことができる。ガラス球の中でペダルを漕ぐとその球ごと進んでいく自転車だの、体の中を透視撮影だの、行き倒れ死体を適温で保存したものを身元捜しと称して路上の見世物にするだの、なかなか珍にして妙なアイディアに瞠目。あとの二者がそれぞれ、
![高山宏の読んで生き、書いて死ぬ?:?『20世紀』 アルベ―ル・ロビダ[著] 朝比奈弘治[訳] (朝日出版社)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/1f684cde864ceb6745abd1cb731f55c7770b7715/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn-ak.f.st-hatena.com%2Fimages%2Ffotolife%2FK%2FKinokuniya%2F20180502%2F20180502201932.jpg)